洛陽の花 <短編集>
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妻と言葉を交わさなくなったのはいつからだろう。
忙しさにかまけ、遅くに帰宅して早くに出社する毎日。
当たり前のように並べられた食卓。
帰ってきたときにかけられた何気ない言葉。
そんなたわいのないものが、今から思えば、どれほど大切だったろうか。
厳しい不況の中で外回りに足を棒にして頭を下げ、息子を名の通った大学に行かせるために睡眠時間を削って会社に貢献した。重役にまでのし上がり、頭を下げるよりも下げられることが多くなった。傾いていた経営も何とか持ち直し、新しい企画を立ち上げてこれからだというときに。
妻が倒れた。
寝耳に水の事態だった。
妻の意識は戻らなかった。
永遠に。
医者から告げられる言葉に呆然自失し、半狂乱になった。
これからだというときに!
まだ働けるという自信があった。
社に対する忠誠は誰もが認めていた。
何故私なのだ!
何故私だけがこんな不幸な目に会うのだ!
病院のベッドの上で眠った妻の白い首を、この両手でくくってやろうとさえ思った。
出来なかった。
何故生きている。
何故死んでくれなかった。
久しく泣いたことなどはなかった。
涙を流すことなど、男子の恥だと躾けられてきた。
両の拳を握りしめ、妻のベッドに叩き付けた。
私は、会社をやめた。
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