洛陽の花 <短編集>

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 かじかむ手をポケットにいれ、鍵を取り出す。
 じゃらりとついてくるキーホルダーの束。
 どれもこれも、息子からのプレゼントだ。
 幼稚園の授業参観にもらった人形はくすんでしまい、修学旅行の京都土産は元の色さえ定かではない。友達と出かけた香港旅行のストラップなどは千切れて破けている。いい加減に捨てろと当の息子に言われても、肌身離さず一つに纏めて持ち歩いている。
 その息子も今は家庭を持ち、長い間親子3人で過ごした家には私と妻だけだ。
 重い鉄製の扉を開くと、暗闇が押し寄せる。その暗闇に引きずられるようにして、私は家の中へと疲れた体を押し入れた。
 見当のついている場所へ手を這わせて当たりをつける。数回の明滅のあと、オレンジ色の蛍光灯が部屋の中を照らし出した。
 2LDK。
 たった二人の家としては、とても広く感じる大きさだ。
 帰った、と呼び掛けても、返事をする者はいない。
 もう、慣れた。
 コートを脱いでリビングの椅子の背にかけ、奥に呼び掛ける。
「和子、どこだ?」
 返事が無くても、呼び掛ける。
 無音が返事だ。
 部屋にいるのは分かっている。
 鍵を閉めて出かけたのだ。一歩も外へは出かけていない。
 居間のあかりを点けると、リクライニングの椅子に寝たままの妻の姿があった。
 死んでいるのかと思うくらいに静かだった。
――いっそ、死んでいてくれれば――
「ここにいたのか」
 柔らかな声をかけ、手を取るとさりげなく脈を測る。
 規則正しい音。
――よかった。
「今日は、どこにもいかなかったんだな」
 どこにも行けるはずがない。
 彼女は窓に向けた首さえ動かそうとしない。
 自分の声が聞こえているのかも分からない。
 ただ窓の外を見る。
 景色を見ているわけではない。
 なにもその瞳に映ってはいない。
 彼女は、痴呆症だ。




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