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「そこを動くな!」
ファウストは銃を構えたまま、丘の上にいる三つの影に叫んだ。
「王都特別守護騎士の名において命ずる! 死にたくなければ投降しろッ!」
雨のせいで視界は最悪だ。だが、あの中のどれかが『LOKI』に違いない。いつでも引き金が引ける態勢で駆けのぼる。
影の一つが動きを見せた。鷹揚な態度で振り返る。
「”照準(ロック)”!」
すかさず呪文を唱えると、蒼い雷光が周りに弾けた。巨大な魔力の波が、唸りをあげて真っ直ぐに伸びる。
「僕のあげたプレゼント、役に立っているようだね」
奴だ。
頂上付近までたどり着くと、『LOKI』は持っていた本をぱたんと閉じた。
「俺の体を映したままということは、まだ封印が利いているようだな」
「さて? どう思う?」
もう一人の自分が嗤った。
「この体、気に入っていてね」
「戯れ言を」
「君に敬意を表しているのだよ。他ならぬこの僕を、わずかな間とはいえ、人の身で封じたその実力をね」
ファウストは『LOKI』の足元にうずくまる二人に目をやった。黒い肌をした女と、それに抱きかかえられた少女。
「……最後の贄は、死守する」
「勘違いしないでくれたまえ。わざわざ主賓の到着まで待ってあげたのだ」
『LOKI』は手を大きく広げた。
「僕の趣味は余興と道楽でね。暇つぶしにこうして人間の望みを叶えてあげたりする」
「その代償が一二人の贄か。空いた腹にはさぞかし旨かったろう。食い意地のはった貴様らしいやり口だ」
「失礼な。僕はこれでも美食家だ。おいしい獲物しか口にしないよ。君もよく知っているだろう?」
「黙れ!」
感情の高ぶりに呼応し、彼を取り巻く帯電が激しさを増す。
「二度とその口が利けないよう、今度こそ地獄の釜につなぎ止めてくれる」
「そう、うまくゆくかね? あのときと違い、君にもはやそれだけの力はない」
――見破られている。
内心舌打ちする。
二年前は贄の数と自らの魔力を供物とし、なんとか奴を封じることに成功した。だがその代償として、今では魔術一つでも激しく心身を消耗する。それだけに、あのときの術式はかなり強力なものだったはず。
それがたった二年で無効化するなど、そんなことなどありえない。現に、奴が自分の姿を借りたままであるのは、まだその封印が有効である証拠だ。
ならば――
ファウストは雨で滑れたグリップを握りなおした。
「跡形もなく消してくれる」
「くくっ。威嚇のつもりか? 可愛いね」
『魔法銃』は魔術の儀式を簡略化し、なおかつ増幅器の役目を果たすが、唯一欠点がある。それは一度”装填”した魔術は二度と解除出来ないというリスクだ。その状態で弾倉を解放すれば、それこそ暴走した魔力の”生贄”となる。
”空白”の言語で一時的に控えた魔力は、まだ銃身の内部でくすぶっている。
「”開放(ブリッド)”!」
落雷が落ちたかのような衝撃が走った。銃身から爆発するように稲光が拡がり、巨大な稲妻を纏ったかのように帯電している。雷子に当たった雨雫がパシュ、と音を立てて煙になった。凄まじい熱量による気化現象だ。
稲光はひととおり主を取り巻いた後、急速に収束し、銃口へと吸い込まれた。
一瞬の間をおき、轟音と共に複数の稲妻が、宙を切り裂き射出される。
『雷鞭』の魔術だ。
ファウストは足をふん張り、凄まじい破壊力の余波に抗った。すぐに次の動作に移れるよう、片時も目をはずさない。
「ふむ。素晴らしい出来だ」
暴れ回りながら襲い来る稲妻を前にして、『LOKI』は余裕の表情で感想を述べる。
縦横から雷の波が直撃した。
同時に、ファウストは走った。目指すは、一二番目の贄。あれがなければ、封印も解かれることはない。
――少なくとも、今日だけは。
ファウストは小さな手を掴み、引っ張った。
「来い!」
さしたる抵抗もなく、細い腕はたやすく伸びた。だが、それだけだ。
反対側から、さらに強い力が少女の体を留めている。
「サラにさわらないで!」
褐色の肌の女が異様な目つきでこちらを見上げ、自分の腕を掴んだ。長く伸びた爪が手首に食い込み、激痛が走る。
「このアマっ、放せッ!」
万力のように剥がれない。
「くそっ! もたもたしていては――」
「おやおや。レディは優しく扱わなければ」
――クソったれ!
ファウストは険しい顔で振り向いた。
バチッ!
蒼い雷光が弾ける。『LOKI』が『雷鞭』の魔力を纏わせたまま、笑みを深く刻んだ。
「それは僕があげた玩具だ。効くわけがなかろう?」
ファウストは弾倉が空の銃をむける。
「化け物が」
「君たちがもろすぎるのだ。最も、僕はそれすら気に入っている。繊細で壊れやすく、ひ弱で脆弱な生き物」
『LOKI』が、ゆらりと腕を上げた。
(くっ――)
ファウストは咄嗟に手を突きだし、ありったけの精神力で見えない壁をつくる。
「それが人間だ」
突風と共に、『雷鞭』の魔力が跳ね返された。一直線に唸りをあげ、彼の作り出した魔力の壁などたやすく貫通する。
――がはっ
一瞬で意識が吹っ飛び、「ごんっ」地面とぶつかって目が覚めた。口の周りから涎が溢れ、四肢は己の意思に関わらず不規則に跳ねる。意識はあるが思考は出来ず、視界は黒いままで耳鳴りも止まない。
「おや。もうオシマイかな。ゲームはまだ始まったばかりなんだが」
耳鳴りと一緒に哄笑が聞こえる。
混濁した意識から無理に自我を引き起こそうとするが、なにしろ雷の直撃だ。生きているだけマシといえる。
「なぜだろうね。親愛なる君が苦しんでいるのを見ると、胸がどきどきするよ。どの小娘より、君の悶える様が一番心を震わせる」
――変態め。
「くく。その表情がたまらない。つい先日もその貌で、僕を見上げた者がいたね。あのハンス君はどこだろう。パーティには招待したんだが」
煌、と頭の中へ光が差し込む。目の前にゆっくりと輪郭が刻まれ、色彩を帯び、立体が像を結ぶ。栗色のパイプが目に入った。
泥水を吐き出し、痺れる体を引きずって立ち上がる。
「さすが君だ。それでこそ僕の友人だ」
ファウストは『メフィスト』を拾うと、力の入らない腕で弾倉から黒水晶の残骸を取り出した。鉛の弾を込めながら、大きく息を吐く。
「さぁ、第二ラウンドと行こうか」
「……調子に、乗るなよ」
装填し直した銃口を下に向ける。
最初に気づいたのは、銃口を目の前にした女だった。素早く少女をかばおうとする。
「動くな」
ファウストはその女と『LOKI』に警告を発した。
「動けば撃つ」
「へぇ。そう来るんだ」
『LOKI』が目を細めた。
「一二番目の贄がなければ、復活を果たすことも出来まい」
「そうでもないさ。ストックなら何人か用意してる」
「ならば、贄となった者全員を片っ端から殺す。貴様が喰らう前にな」
「二年前の過ちを、また犯すつもりかい?」
「過ち? 違うな」
ファウストは渇いた笑い声をあげた。
「あれは奇病に対する正当な防衛策だ。後悔などするものか」
「そうだね。後悔と悪意は矛盾だ。どちらか片方しか選べない」
「……皮肉を言われる筋合いはない」
ファウストは憎々しげに頬を歪めた。
「これでも褒めているのさ。生き物は生は他の犠牲の上に成り立つ。君の考え方は自然そのものだ」
『LOKI』はファウストから目を外した。
「そうだろう? サラ」
(なに!?)
引き金を引くより早く、銃がはじき飛ばされる。
だが、気にしている余裕はない。伸びてきた腕を払いのけ、のしかかってくる体をかわし、距離をとる。
「……すでに奴の手の中か」
「サラ! やめて! 戻ってきて!」
感情を凍結したその表情には、一点の暖かみも感じられない。さながら、主人の命令に忠実に従う猟犬だ。
「彼女の魂は今、僕の支配下にある。他にも、ほら」
『LOKI』の抱えた本がぱらぱらとめくれた。その表(おもて)に、ここ1ヶ月のうちに何度も目にした忌々しい魔法陣が、青白く浮かび上がる。
辺りに腐臭が立ちこめた。異様な気配が四方から漂ってくる。ファウストは油断なく辺りを窺った。
ボコッ。
「!」
足首が掴まれる。全く予期しなかった地中から、何者かが自分の足を掴んでいる!
振り払おうと足を振ると、思ったよりも簡単に解放された。しかし、足首には千切れた手首がぶらさがったままだ。
(これは――)
「きゃぁあああああああ!」
次々と這い出してきたのは、腐りかけた人間の躯だ。眼球に穴が空き、内容物に蛆がたかり、並びの悪い黄ばんだ歯で威嚇する。
”脳なし(ゾンビィ)”だ。
「壮観だろう?」
”脳なし”どもに取り巻かれ、『LOKI』は得意げに両腕を広げた。