「ファウスト〜殺戮の堕天使〜」

六章 支配者は語る

/ 2 /

 

「最悪な気分だ」

 ファウストは鉄格子を睨み付け、低く呟いた。汚臭と異臭と腐臭、三ツ巴のコラボレーションが間近で実現し、鼻が曲がるような悪臭が立ちこめている。

 今の今まで、自分がここで眠っていた事実が信じられない。

「何故俺がこんなところに入らなくてはならん」

「勘弁せい。それもこれも、お主があれを追いはらったせいじゃぞ」

 ”剣帝”はそういって、髭を撫でた。

 ふん、とファウストは鼻で笑う。

「あの臆病者の騎士か。奴は今、何をしている」

「ウッドマンの下じゃ」

「……なに?」

 ファウストは不審げに眉を顰めた。

「お主は知らんじゃろうがの。今、『LOKI』の捜査の指揮を任されておるのはあ奴じゃて」

「なんだと!」

 ファウストは格子ごしに詰め寄った。

「あんなうらなりに何が出来るというのだ!」

「ふむ。どうかのう。儂もマーリン殿の考えはほとほと読めぬ」

 ”剣帝”はあくまでのほほんと答える。

「おまけにお主の行動も読めぬわ。かっかっか」

「笑い事ではないだろう!」

 いきり立つファウストを、”剣帝”は皺の刻まれた目で眺める。

「なに。心配いらぬ。なにせ、マーリン殿は百手先を読む知将じゃて。意味なく抜擢したわけではなかろう」

「だがッ――」

 マーリンの先読みの能力はファウストも承知している。

 奴の得意は占星術だ。天の星をみて時の情勢、不吉の兆候、未来に起こる数々の事象を詠みとるという。変わり映えのしない景色の一端に隠された啓示、それをを汲みとる独特の占術法。

 その特異な術でこの街を幾たびも救い、ここ百年ほど王位の隣を占めている、七老最古の長老だ。

 もちろん、そんな非論理的な予測法などファウストは認めてはいない。だが、奴自身のずば抜けた先見の妙は認めざるを得ない。

 二年前――無名の自分を『翡翠の病』対策の場へ引きずり出したその眼識を、ファウスト未だに畏れている。

(底の知れない何者かなのだ。あの宰相は――)

「ほれ、そう難しい顔をせんと飯でも食え」

 ”剣帝”はそういって、かたくなったパンを差しだした。

「……いらん」

「しっかり食わぬと早死にするぞ」

「ふん。飯を食うより煙を吸っているほうが長生きするわ」

 ぐぅ。

「…………」

「かっかっか。まだまだ修行が足りぬのう。ほれ、食え」

 ファウストは差しだされたパンをひったくり、そのままかじりつく。不味いが、腹の足しにはなる。

「しかしお主も大胆じゃのう。夜中に血まみれで城に駆けこむとは。ずいぶんな騒ぎじゃったと聞く」

「……まぁ、いろいろあってな」

 なにしろ昨日は、生死の境を二度もくぐったのだ。疲労の極致では頭もろくに働かず、”白城”に着き次第拘束され、この地下牢に押し込められた。

 今にして思えば、なんと迂闊なことだろう。

「それに、また一人、殺されてしもうた」

「そうだな」

「ふむ……?」

 心なしか、”剣帝”の視線が鋭くなった気がする。

「それより、俺の銃はどうした」

「ふむ……返したいのは山々じゃがのう。暫し気になることがあっての」

 そのとき、息を切らしてやってきた”時の輪”騎士が、「”剣帝”様!」と声をかけた。”剣帝”は騎士に近寄り、何かしら耳打ちを受ける。

「ご苦労。下がって良い」

 騎士は一礼して去っていった。

「すぐにマーリン殿が来る。はよう朝食を済ませい」

「……こんなところで謁見とはな」

「そういうことになるのう」

 冷たい地下牢に、複数の足音が近づいてきた。

 騎士に囲まれ、マーリンが姿を現す。

 ファウストの表情に僅かな緊張が走る。

「久しぶりだな、魔術師」

 マーリンの姿は、二年前の姿と何一つ変わっていなかった。巨大な頭巾に覆われた顔は伺い知れず、ゆったりとした外衣のせいでその体格すら判然としない。大人なのか、子供なのか、老人なのか、男か女か、または人間であるかどうかすら疑う。ただ目の位置に空いた穴からのぞく、涼やかな瞳だけが奴の生身の部分だ。

 マーリンが口をひらく。

「いかなる罪状で拘束されたか、わかっておろうな」

「見当もつかんな」

 ファウストは憎々しげに呟いた。

「俺は何もしていない」

「われもそう信じておったがな」

 そういうと、マーリンは供に連れた騎士の一人から何かを受け取り、こちらへ放り投げた。

 ごとり、と重い音がして、『メフィスト』が足元に転がる。

「それはお前の武器であろう」

 ファウストは黙っていた。

「銃火器の類は我が国では禁じておる。それを知りながらなおかつ所持しておるのは、そなたくらいであろうな」

 弾倉には弾薬が装填されていた。手に取ると、声がかかる。

「撃ってみよ」

 ファウストは不審な視線をマーリンに向けた。

「なんだと?」

「無罪を証明したいのであろう? ならば撃て」

 からかわれている、とファウストは思った。

「……いいだろう。そこを動くな」

 ざわっ、と周りの騎士たちに緊張が走る。横にいる”剣帝”はのんびり構えたまま、成り行きを見守ったままだ。

 ファウストは撃鉄を下ろした。

 騎士の一人が血相を変えて飛び出してくる。

「血迷いおったか! ”大老”殿にそのような――」

――パンッ。

 その鼻先を高速の弾丸が横切る。

 石の壁に小さな穴が穿たれた。

「これでいいのか?」

 黒い煙を上げる銃口を吹き消し、ファウストは銃を懐にしまった。

「”剣帝”」

 マーリンに呼ばれて、”剣帝”は弾頭の穿たれた場所へと歩み寄り、その穴をのぞきこんだ。

「昨日殺された者の頭部に空いていた穴は、このくらいであったか」

「御意」

 なっ――

「どういうことだっ!」

「沙汰は追って知らせる。暫くその中で謹慎しているがよい」

 マーリンは背を向けて、供の騎士と去ってゆく。

「マーリン!――くそっ、”剣帝”!」

「明日、中央大聖堂にて神事外法廷が開かれる」

 ”剣帝”の声がひどく冷たく聞こえた。

「そのときまで、心の準備をしておくがよい」

「き・さまらぁぁぁ!!!」

 ファウストは歯ぎしりし、やり場のない怒りを鉄の檻にぶつけた。

 




Copyright (C) 2009 Sesyuu Fujta All rights reserved.