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…ここは、どこだ?
葉がぬけ落ち朽ちた枯れ木に囲まれた、ぐねぐねと曲がる一本道。今は夜だろうか。烏が喚き声をあげて、上空を移動する。
後ろを見れば、闇に息を潜めた獣の気配が、鋭い牙を剥いて威嚇する。戻ることは許されないようだ。
もとより、出口など知らぬ身。進むも退くも、たいして変わらん。
なま暖かい風が頬を撫でた。遙か彼方に微かな光が宿る。
「道標か。気前のいい」
枯れ木のうろが大きく口を開け、未練の叫びをあげる。空高く行き交う烏がはしこく目を光らせ、獲物が隙を見せるのを待っている。
空には月も星もない。濃厚な闇だけが、今にものしかかってきそうに巨体を膨らませている。方角すら知れない。両側を夥しい数の枯れ木に囲まれては、ここが何処とも知れない。
僅かな望みは少しずつ近づいてくる光のみ。
烏が一声高く鳴いた。
一羽が降りてきて、適当な止まり木を見つけて羽根を下ろす。
それは傾いた十字架だった。
木の板を組み合わせただけの粗雑な十字架は、ぎぎ…と音を立ててゆっくり傾ぎ、地面にぶつかった。
烏がバサリと大きな羽を広げ、不吉な声をあげて去ってゆく。
いつの間にか、枯れ木に代わって幾つもの十字架が地面から生えていた。どれもが風化しくたびれ、炭化する一歩手前の状態でからくも立っている。
「悪趣味な場所だ」
呟いた途端、背筋に悪寒が走った。
この光景――見覚えがある。
「これは御同輩。久しぶりですなァ」
足を止め、前方を睨む。
小汚いコートを着た男が一人、唐突に拓けた視界に佇んでいた。顔はぼやけて霞んでいるものの、その話しぶりからすぐに察しがついた。
「……何が目的だ」
「くくっ。冷たいものだ。二年ぶりの再会だというのに、君は感慨という言葉を知らないとみえる」
「感慨だと? 貴様のせいで、俺がどのような目にあっているか知っているのか?」
「これは遺憾な。望んだのは君だろう」
ジャラ…
「それに、裏切ったのは君が先だ」
太い鎖に巻かれた指が、ピタリとこちらを指した。
「それがどうした」
「開き直るか。くく…マァ、命乞いなどされても困るがね。過去のことなどどちらでも良い。必要なのは今、君の協力だ」
人影は、両手両足をつなぐいましめを無造作に引っ張った。甲高い悲鳴を上げて、術式の鎖が彼を拘束する。
「この封印、もうすぐ解ける」
「ありえん」
「嘘ではない。君は自らの力を過信している。認めたくないだけだろう?」
「ありえん!」
「ありえる。この僕が誰だかわかるだろう? 人の術などたわいないものだ。昼寝するには丁度良い」
ジャラ…
人影は大仰に両腕を広げ、まるでどこかの哲学者のように口を開いた。
「物事が完全であることなどあり得ない。なぜなら我々は不完全が創り出した不完全であるからだ。なにも君が卑下することではない。それがこの世の不条理というものだ」
「ならば今一度、俺が封じてやる!」
「それは愉しみだ。次は何人の娘を犠牲にするかね?」
そういうと、人影は指を掲げ、パチリと鳴らした。
生臭い匂いが立ちこめた。
足元を、真っ赤な線が染みでるように浮かび上がってくる。
「君に謝罪の機会を与えよう。僕にではなく、彼女たちへの謝罪だ」
右から、ぎぎ…と音がした。
見なくとも、何があるかわかる。
「君も残酷な男だ。自己のために他を犠牲にすることを厭わない。誰かがそれをこう呼んだ。『人間失格』とね」
「ぬかせ!」
左からも聞こえる。
「勇みよいことだ。だが、わかるよ。他に方法がなかったのだろう。彼女たちも許してくれるさ」
背後に、そして目の前に、長い槍で磔にされた人の躯が現れる。目玉は崩れ、皮膚はただれ、頬まで口が裂け、いびつな歯が並ぶ。蛆が這い回り、落ちかけた臓器がねっとりと糸を引く。
それでも、串刺しにした槍をつたい、朱い雫がポタリ、ポタリと垂れている。
「そんなものを見せるな!」
人影は愉快そうに笑った。
「何を怖れる? ごらん。これが君の為した業だ。美しいだろう?」
「ふざけるなっ!」
「おや、どうした。この程度で参ってしまっては困るよ」
人影は腕を大きく広げた。
「さァ、約束の時間はもうすぐだ。君と僕との思い出の場所で、僕は君を待っている。感動的な再会でありたいな。そう――」
声が耳元で囁いた。
「僕はいつでも君の味方さ」