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そうか、奴らが『城』から派遣されてきたとかいう連中か。
昨日の朝、例の殺害現場を調査していたのを思い出す。ヒエログリフの魔法陣を最初に目撃した場所だ。
後ろに奴らの姿はないが、追ってくる断続的な声が聞こえてくる。乱雑に並ぶ粗末な家は、適度な遮蔽物として機能し、捲くのに有利な環境をつくり出している。
それに、あんな重いモノを着てる限り、追いつかれる心配は万に一つもありゃしない。
(ここまでくりゃぁ…)
俺は速度をゆるめ、周りの人間と歩調を合わせる。木を隠すなら森の中、人を隠すには人混みの中。これ、カメレオンの極意。
「……ん?」
服が引っ張られる。視線を下ろすと、小汚い子供が一人、自分を見上げていた。襤褸切れのような服を着て、曇りのない瞳で俺をみる。
(物乞いか)
まいったな。今そんな余裕ないんだが。
「……こっち」
……へ?
子供は一言呟くと、走っていった。路地へとはいる脇道の前で止まると、また俺のほうを見る。
(なんなんだよ)
近寄ると、今度は路地の中へと消えた。仕方なく、俺も続いて入る。俺の姿を確認して、子供は路地の一本道を奥へと向かって走り出した。
「あ、こら……」
付いてこいってか?
誘われるまま、小さな背中を追っていく。子供は振り返ることもせず、たまに曲がり角があるときだけ、チラと俺の姿を確認し、そのまま何も言わず走り続ける。
無口な奴。
それにしても人気のないところだ。日差しの差し込まない事といい、無言で走り続けていると、不意に昨夜の光景と重なる。前をゆく背中が少女の幻とダブり、胸の奥がちくりと痛む。あの軽快なステップを見ることは、もう決してないのだ。
(……タリ)
自分の不手際だ。あどけなかった少女の幻影に対し、心の中で謝る。俺がもう少し気張れば、あんな死に方はしなかったかも知れない。
他人の死は、いつも見てきた。見下ろすと、朱に染まった両手が目に入る。洗い落とすことを諦め、常に鎌を携えた手だ。崇高な目的のもと、何人もの命をたやすく葬ってきた。
そしてこの手は、たった一人の命すら救えなかった。
今思えば、当然な結果だ。鎌を持ったままで、人の命など救えるはずがない。刈ることは出来ても、握ることは出来ない。ガキでもわかる。
ならば、俺に何が出来るか。答えはでている、刈ることしか出来ない手で、手前勝手な理由のために、いいわけに過ぎないけじめをつけよう。
それが、今の任務だ。
「うわぁっ!」
目の前に人影が現れた。考えに没頭し、注意が疎かになっていたらしい。
……ちぃ!
俺は歩数を読みとり、地面を蹴った。固まっている相手の頭を押さえ、身体ごと真上に足を跳ね上げる。天地が逆さになったところで手を離し、身体を丸めて足と頭の位置を入れ替える。みごとな空中回転ひねりで、俺は人一人を飛び越えた。
とんっ。着地も成功。
「悪りぃ悪りぃ、よそ見してて……うぉっ!?」
ぶぉん、とうなりをあげて、鋼鉄製の分厚い刃物の切っ先が足元にめりこんだ。あっぶねぇ。
「きっっっさまぁッ!」
さっき見かけた顔が怒りの表情で睨んだ。
「よくも栄光高きウッディング・ヒル家の嫡子である僕の頭を汚らわしい手でさわったな! 叩っ斬る!」
「うっわ、昨日のプッツン騎士じゃねぇか」
「うるさいっ!」
剣がぶんぶん振り回されるが、体格にあっていないために体ごと持ってかれている。これじゃ当たるもんもあたりゃしない。
とっとと逃げちまおう。
「二度も逃げられると思うな! あ、待て! 待てー!!」
貴族の坊ちゃんは重い鎧をがちゃがちゃいわせて追ってくるが、お話にならないほどのろい。何であんな重いものを好きこのんで着ているのか、この国の奴らは理解に苦しむな。
それより、子供を見失ってしまった。路地を道なりに進むが、どこにも姿がない。
幻でも見ていたのだろうか。
「……ん?」
いや、いた!
追いかけていた背中を見つけ、スピードを上げる。近づいていくうち、前のほうに奇妙な一団が現れる。
(なんだぁ?)
子供ばかり一〇人ほど。狭い路地に密集している。その一人がぶんぶんと手を振った。俺にじゃない。俺の前を走る子供が手を挙げる。
そこに、ぬっと巨大な影が現れた。巨大といっても、あくまで子供たちと比較してだ。俺から見れば、妙な爺が一匹現れただけに過ぎない。
爺が俺を見た。その瞬間――
俺は後ろへ跳んだ。それは動物的な反応といっていい。考えるよりも身体が先だった。
右肩が痛む。だがこれは昨日の傷口がひらいただけだ。急激な動態反射で、昨夜の傷がぶり返したに過ぎない。
問題は、ジャケットの開口部。僅かに裂かれた切れ目にある。横凪の一閃。だがその瞬間すら見えなかった。避けられたのは奇跡に近い。
現に、爺は腰の得物を抜いてもいない。だが、確かに鋭い殺気が俺を切り裂くべく振るわれた。だが爺は抜いていない。
イヤな汗が吹き出る。
爺は髪を後ろで束ね、のほほんと逆さ玉ねぎの髭をしごいている。服は東の大国の道師という符術師の着る服に似ているが、それよりも遙かに軽装で、動きやすくまとめられている。つーか、この寒い中でよくそんな格好でいられるもんだと別にところで感心する。
「よくぞ、儂の間合いを見抜いた」
ほっほっほ、爺が年寄り臭く笑う。
「なかなか見所のある若者じゃわい。どうじゃ? 今度儂の道場に顔を出してみんかの?」
……ヒト殺そうとしといてヌケヌケとまぁ……
「何者だ、あんた」
「ふむ。儂を知らぬか。まだまだ世間は広いのう」
こうして無邪気に喋っている間、爺は隙だらけだ。だが、俺にはわかる。こいつは罠だ。動いたが最後、生きてはいまい。
(……まさか、狩られる側にまわるたぁな)
この爺、ただ者じゃない。誰だ? 明らかに並の爺じゃない。これほど俺に圧迫感を与える剣士。異国の服装。心当たり――
一人、いる。
『白翁』。
またの名を”剣帝”。
大陸で並ぶもののない剣の使い手にして、祖国から指定された超A級の危険人物。戦場を覇せる老いた怪物。こいつの武勲に比べれば、俺の数なんか可愛いもんだ。
(イヤなのと、出会っちまったな)
闘うにしろ、逃げるにしろ、『道』が使えない今の状態は、致命的な危機的状況だ。
かといって、みすみす黙って殺されるワケにはいかない。
「……む?」
左足を引き、腰を落として背中を丸める。脇を締め、二本の腕を前に突き出し、腹でゆっくり息を吐く。相手からは、俺の身体が縮小したように見えるはずだ。
「ほほう。拳闘術か。東の国が得意とする武術じゃな」
勝てると思うな。逃げるが勝ちだ。
「お主、間者か。この国を内偵にでも来たか?」
一瞬の隙をつくりだし、体力の限りとにかく逃亡。
「しかし惜しい。お主のような未来ある若者を、儂がこの手で斬らねばならぬとは」
「惜しい。実に惜しい」と繰り返して、”剣帝”は腰の得物をスラリと抜いた。細いラインに反りがある、特異な武器。海を渡った東の最果てで造られる独特の妖刀。黒い刀身に白い蛇がうねうねと走り、ぞっとするほどの凶凶しさと、洗練された美しさが同居する妖しの凶器。
空気が変わった。あからさまな殺意に晒される。これが、六〇を超す爺の剣気か? 冗談きついぜ。
間違いなく殺される。
「どうした、来ぬのか? ではこちらから参ろうかの」
じりっ。
気圧されるな! ”剣帝”の動きに最大限注意を払う。どこからくる――
ぶわっ、と”剣帝”の身体が膨れ上がった。一瞬で血が凍りつく。まるで蛇に睨まれた蛙。ちっぽけな自分を自覚する。
「じじ」
やられるっ、と覚悟した途端、殺気は唐突にかき消えた。身体中の筋肉を強ばらせたまま、今言葉を発した小柄な身体を見る。
”剣帝”の腕を、子供が小さな手のひらで押さえていた。
「やめて」
思ってもいないところからの助太刀。だが油断は出来ない。俺は身体の緊張を継続させたまま、様子を見守る。
”剣帝”はとっくに俺から目を外していた。構えを解いて、穏やかな表情で子供たちを見る。
「……これはいかん。とんでもない失態じゃわい」
”剣帝”は、小さな少女の頭に手を置くと、丁寧に撫でた。俺のほうに向き直ると、「むぅ」と唸って髭をさする。
「すまぬ。人違いじゃ」
なんだそりゃ?
「儂はこの子らと散歩に出かけるところでな。無礼をした。許してくれい」
「あ、ああ……」
天下の”剣帝”に頭まで下げられ、俺はワケがわからないまま頷く。
「ときにお主、子供は好きかの?」
「い、いや、別に嫌いってワケじゃネェケド……」
「子供は、人の心を正しく見抜く目を持っておる。お主は、どうやら善い人間らしいの。惜しむらくは、仕える国が違うということか」
何が言いたいんだ?
「弱者を助けるのは強者の務めじゃ。それを信条とする者は死して尚その思いが後世に残る。かような生き方を、儂は推奨するがの」
「…………」
ガチャガチャと、後ろから金属の擦れるうるさい音が聞こえてきた。そろそろあの坊ちゃんが追いついてくる頃だ。
「ゆけ。追われておるのじゃろう?」
俺は我が耳を疑った。
「いいのか?」
「今は、の。次はない」
ほっほ。爺がまた笑った。
「このままゆけ。大きな通りに出られる。その辺りはまだ、見回りが少ないはずじゃ」
「……本気かよ」
「無論じゃ。武士に二言はない」
ブシ?
「とっととゆけ。時間がないぞ」
俺は釈然としなかったが、言うとおりにするしかなかった。”剣帝”の横を通り、さっき助けてくれた子供を見る。小さな救世主に、俺は見覚えがあった。
因果応報。善行は積んでおくもんだ。
片手を挙げて礼を言うと、俺は全速力で逃亡した。