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ハートの3、スペードのA、スペードの6、クラブの7、スペードのK。
役なしだ。ツイてない。
「どうしたにいちゃん、旗色がわるいか?」
ニヤけたツラで、カードを配った男がちょっかいを出してくる。
「いいや。案外いいものが揃ったぜ」
と、ハッタリかましておくが――さてどうしたもんかな。
「まだ初戦だ。自信がないなら降りてもいいぜ?」
ポーカー賭博は加算式だ。手持ちのカードで勝てると踏めば、チップを加算し、大きな儲けを期待する。だが逆に、勝てそうもなければ降りて次の機会に回すことができる。
「オレからいく」
左から声があがる。喚き男はさっきと打って変わって、慎重に手札の二枚を山札と交換した。エレネちゃんは肩を男に抱かれて、身を強ばらせてじっと耐えている。
「ひゃひゃ、じゃ、次ぃ」
右の男は一枚。
「にいちゃん、あんたはどうする?」
「そうだな」
テーブルの真ん中に置かれた山札、その近くにまだ五枚揃って伏せられたままのカードがある。正面の男は、自分の手札を見ることすらしていない。
「あんたは引かないのか?」
男は肩をすくめる。
「そうか…じゃ、遠慮なく」
丁度そこへ、おかみさんがたっぷりと中身の入った杯を三つ、運んでくる。目が合うと、俺は軽く頷いてみせる。
心配すんな。あの娘は助けるさ。
「……酒がきたぜ」
「うん? ああ、今はいらねぇよ」
男は、運ばれてきた酒の匂いより俺の胸にある純金のバッジのほうが気になるようだ。
「なら俺がもらおう」
俺はなにげなく立ち上がり、テーブルを挟んで向かい側に立つおかみさんから、杯のひとつをうけとろうと手を伸ばす。
「……おっと」
こっそりと忍び寄っていた腕を、空いていた手で素早くつかまえる。舌打ちが聞こえ、右の男が卑屈な愛想笑いを浮かべる。
「……いけねぇなぁ。チップをスるのは反則だろ?」
「「なに!?」」
視線が男に集中する。非難の目に釘付けになった男は、ばつが悪そうに丸まって、ひきつり気味に謝った。
「ひゃ、ひゃひゃ……もうしねぇ。もうしねぇよ」
「大事な商談をフイにしやがって馬鹿が!!」
正面の男が異様に怒りを露わにし、今にも殴りかかろうと男を睨む。
「まーまー。何もとられず済んだんだ。一度目は見逃してやるよ。それよりゲームを続けよう」
その言葉を聞き、男の怒りのボルテージは急速にしぼむ。
「あんたの度量が広くて助かったぜ。いうとおり続けよう」
「けっ。 オレぁ降りた」
右の男は投げやりにカードをテーブルの上に置いた。
「ブタだ、チキショウッ!」
「さぁ、あんたの番だ」
正面の男が、オレのほうを見て不敵に笑い、催促する。
「そうだったっけか?」
俺はとぼけたふうを装い、上機嫌な男に尋ねる。
「そっちこそ、いいのかい? さっきから一度も手札を見てないじゃねぇか」
「へへ。今日はかなりツイててな」
男は、伏せられたままの手札をコンコン、と指で二回叩く。
「このままで勝てる自信がある」
「へぇ。そうかい。なら俺も、交換しない」
男は不審な顔をしたが、100%負けることはないと確信しているため、「そうか」とすんなり流した。
「じゃ、いざ勝負といこう」
左の男がまず、手札を開いてみせた。
「Qのワンペアだ」
正面の男がニヤリと笑う。
「残念だったな。オレの勝ち――」
男の動きが不自然に固まった。その視線の先には、奴の手札が全て表にして開かれている。
ハートの3、スペードのA、スペードの6、クラブの7、スペードのK。
今度は俺が自分の手札を表にして、テーブルの上に置く。
「Aの3カード。俺の勝ちだな」
右と左から悪態と嘆きの声が挙がるが、正面の男だけは俺のカードを愕然と眺めている。
「どうしたい? 勝負は終わったぜ?」
握りしめた拳が振り上げられ、テーブルに叩きつけられた。小さな地震が起こり、安物の酒が散らばったカードの上にぶちまけられる。
「ふざけんな! そいつはオレの手札だ!」
その通り。
「はぁ? 自分のカードも見てないのに、何でンなことがわかるんだよ。大体カードを配ったのはあんた自身だろう?」
「てめぇ……」
男の顔が、赤とも青ともいえない色に変わっていく。よほど、自分のイカサマが破られたことが悔しいらしい。
「約束通り、その子を返してもらおう。酒場にゃ看板娘がいないと、そりゃ淋しいもんなんだ」
男は返事の代わりに、ナイフを取り出して近くのエレネちゃんを人質に取った。うっわ、キッタネェ。
「そいつをよこしやがれ!」
「お、おい……」
残りの二人が仲間の豹変に戸惑い、落ち着かせようと近づいていく。よし、がんばれ!
「おまえらもあの金が欲しいだろ!? だったらオレにつけ。山分けしてやる」
男二人は顔を見合わせ、こちらに向き直った。どうやら向こう側についたらしい。予測はしていたけど。
おかみさんの悲鳴が聞こえる。
「てめぇらなぁ、恥ずかしくねぇのか? そんな子供を脅かして、ミジメだぞ?」
俺は無駄だと知りつつ、誠意の説得を試みる。
「惨めだろうが何だろうが、金には価値がある。素直に渡せばいいんだよ!」
「――ったく、勝手な奴らだ」
俺はバッジを一つはずし、奴らに向けて弾いた。小さな煌めきが弧を描き、奴らの視線も俺から外れる。
甘い。
足元にある椅子を、勢いをつけて前に押し出す。椅子はテーブルの下を加速しながらくぐり抜け、人質を取る男のすねを痛打した。いわゆる、人体の急所。鍛えたところでどうにもならない場所への一撃。
「いてぇ!」
素早くテーブルを乗り越え、解放されたエレネちゃんの手首を掴み、引き寄せ、前に出る。すれ違いに鈍い刃物の軌跡が髪の毛を何本かを掠めたが、気にせず素早く左フック。
手応えあり。
鼻血を出して一人が倒れる。背後からイヤな気配。俺は身をしずめ、片足を軸にもう一方の足を這うように鋭く回転させた。
「うわっ」
足元をすくわれ、男が体勢を崩したところで、さらに身体をひねり、俺は拳を突き上げる。落下速度と挟み撃ちに拳の威力が倍加され、男は白目をむいて意識を失う。
残るは一人。
戸口から駆け出してゆく後ろ姿が目に入る。
「ちっ」
あれは大事な勲章だ。二つも人にやるもんじゃない。
急いで外へ出て、男の姿を捜す。
直線距離で50M。逃げ足が早い奴だ。こういうとき、『道』が使えないのはツライ。『駿足』ならば、瞬き一つでたどり着ける距離なんだが。
仕方がない。
まばらな人並みを縫って走り、奴の背中をとらえる。男は振り返り、「ひゃっ!」と悲鳴を上げた。
「あいにく鍛え方が違うんでね」
大地を踏みきり、がら空きの背中に必殺のとび蹴り。男はもんどり打って地面を転がった。
悪人成敗。
カッコつけてみせるが、白い目で見られているので咳払い一つしてやめる。
「……さ、返してもらおうか」
「ひゃ、ひゃ、何のこと――」
ボコッ
後ずさりしていた腹に、思い切り片足をぶち込む。奇妙な声を漏らして、男は苦悶を顕した。
「言わなかったっけか? 人様のものをとっちゃ駄目ってな」
脂汗を滲ませるツラに顔を近づけ、最後通告。男は例の卑屈な愛想笑いを作り、
「し、しらね――」
ボコッ
当社比1.2倍。
「……天ニ弥ルノ罪過グモ、一個ノ悔ノ字ノ当タリ得ズ。わかるかこの意味?」
往来で腹を押さえて悶える男は、ブルブルと声に出さずに首を振った。
「ようは心の持ちようってこった。最後の最後で土下座して謝ったなら、おてんとさんも許してくれるってな」
男はそら恐ろしげにこちらを伺っていたが、ようやく観念しておずおずとバッジを差しだした。
「……命拾ったな」
俺はそいつを受け取るなり、男の股ぐらに一発、加減して蹴り込んだ。ぐるん、と目玉が回転し、泡を噴き出して悶絶する。
「手間かけさせやがって」
俺は金バッジを元の場所に戻し、「…ん?」人垣に囲まれていることに気づく。
見せ物じゃねぇんだが。
断りをいれて、早いトコ現場を立ち去るべく、そそくさと人垣をかき分ける。
「ハイハイご免よちょっくら通して――」
「きさまらぁ、こんなところで何をしている!」
怒鳴り声に振り返ると、重そうな甲冑を着た一団が目に留まる。明らかに他の野次馬とは違う人種だ。なるたけ関わりあいたくない気配がぷんぷん。
「待てっ!」
ひょろりとした背の高い奴が、俺を指さして制止する。やべっ。
「貴様、どこかで……おいっ、待てっ!」
待てるか馬鹿!
俺は人垣を障害物として最大限利用し、後ろから罵倒しながら追いかけてくる奴らを尻目に逃げ出した。