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ぐるるるぅ。
空きっ腹だと腹の音がやたらに耳障りだ。注文した品が届くまで、テーブルの上に突っ伏して我慢する。なんせ昨日から、酒と水しか口に入れていない。
とにかく、まずは情報収集。一人でローラー作戦を展開するにゃ、この街は広すぎる。まずは人が集まる場所で、情報をかせぐべきだろう。いわんや、下町における人の交流の場とは即ち酒場。
ここは『月の輪熊亭』というらしい。
まだ日は高いためか、俺の他に客の数は少ない。端のほうにガラの悪そうなのが3人、カードゲームに興じている。
ゴトッ。
目の前に湯気の立つシチューが現れる。
「お、ウマそ」
ぽんと突きだされた手から、樫で造られた木製スプーンを受け取る。白い海に溺れている肉をすくい、口に入れる。ウマイ。
「ああ、サンキュー」
ぽんと突きだされた手から、今度は握り拳大の黒パンを受け取る。かためのパンをちぎり、シチューにつける。とろりと味の染み込んだそれを、口の中へ放り込んだ。
「お、なかなかイケるぜ、これ」
安いメシでも腹が減ってりゃなんでもウマイ。なんせ、二日ぶりのまともな食事だ。たった2品の料理といえど、飢えた腹には黄金に値するほど価値がある。
ぱくぱくもぐもぐぱくぱくもぐもぐ。
「…ふぅ」
いい加減一息つけたところで、さっきからずっと隣にいる女のコをみる。
にこにこ。
楽しそうな笑みを浮かべて、俺の顔を見つめてくる。料理の乗っていたトレイを胸に抱え、まるで次の指示を待つ子犬のように愛想を振りまいている。
「……あー、えーと、そーだな。ウーン……じゃ、追加で注文しようかな」
にこにこ。
「サラダを頼む。新鮮なやつをね」
にこにこ。
……ん?
まだ隣にいる。
「聞こえなかったかな、お嬢ちゃん。サラダをくれるか?」
にこにこ。
……ひょっとして安すぎるからか? 貧乏な客は相手にしないのか!? しかし無駄遣いが出来るほどの持ち合わせはねえし……
置いてあったままのメニューをとりあげ、開いて物色する。数少ないレパートリーの中から、一番高いものを選ぶ。
「……じゃ、酒を」
「悪いね。お客さん」
厨房に引っ込んでいたおかみさんが、木箱を抱えてのそのそと中から出てきた。
「エール酒でかまわないかい?」
「あー、うん。そいつを一つ」
「毎度」おかみさんは後ろを振り向くと、「あんた! サラダ追加だよ!」
「あいよっ」元気のいい返事が奥から聞こえてくる。
横の女のコはきょとんとして、俺とおかみさんを交互に見比べている。
「エレネ! あんたはこっち!」
木箱を置いた後、両手をあげ、大げさな身振りで手を振る。ウェイトレスのエレネちゃんはととと、と走っていった。おかみさんが杯を彼女に渡すと、奥の方に引っ込んでしまう。
女将さんは俺のテーブルまで来ると、メニューを取り上げて言った。
「悪いね。注文は、あたしにしとくれ」
「あの子、耳が聞こえないのか?」
「口も利けないさ」
ととと、と足音が聞こえて、なみなみと黒い液体が注がれた杯が目の前に置かれた。エレネちゃんはにっこりと微笑む。
「……いい子だな」
「まぁね。自慢の娘さ」
おかみさんは胸を反らせて明るく答えた。
「他に注文はあるかい?」
「いんや。つーか、サラダ注文した事すらすでに後悔してるぐらいの金欠でね」
「あっはっは。確かにお金持ちには見えないねぇ」
……痛いとこ突くな。
「食い逃げするつもりはねえさ。それよか、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「こう見えても忙しいんだけどねぇ」
とか言いつつ、おかみさんは巨体を手近な椅子に預け、俺のはす向かいに座った。全体重を預けられた椅子がぎしぎしと哀れな悲鳴を上げる。
「最近この街をうろついてる連続殺人犯について、聞きてぇんだけど」
「……あんた、食事中によくそんな話を持ち出すねぇ」
「噂でかまわねぇから、知ってることを教えてくれ。礼ならするさ」
……少しだけど。
「そうだね。昨日、9人目が殺されたの、知っているかい?」
「……ああ。知ってる」
「なんでも、四番街の方で殺されちまったらしいよ。この次はこの三番街が標的にされるってもっぱらの噂さ。ウチにはエレネがいるから、そりゃ心配なんだよ。ボーとしてるから、一人で外にもいかせられないよ」
「くそったれ!」
部屋の隅からわめき声が上がった。男の一人が、手の中のカードをテーブルにばらまいた。マナーの悪い客だ。
俺は、気にしないことにする。
「なんで、次がココとわかるんだ?」
「あんた、なにも知らないんだねぇ。逆回りで番地を荒らしてまわってるんだよ。順番からいけば、次はここさね」
「じゃ、この辺うろついてれば、そいつに会えるってワケか」
「そりゃまぁ、そうだけど…」
おかみさんは俺の顔をしげしげと眺め、
「まさか、つかまえる気かい?」
「まぁね」
「馬鹿なマネはおよしよ! 昨日だって城から大勢出てきて探し回ったけど、結局つかまらずに殺られちまったんだ」
「俺ならもっとうまくできるさ」
置かれたままの杯を手に取り、口につける。フルーツの香りが鼻腔をくすぐり、甘さと苦みの絶妙な味が喉を潤してゆく。
「それよか、その城から来た連中のなかに、ファウストって野郎もいるのか?」
おかみさんはその名前を聞くと、すかさず顔をしかめた。
「あれは四六時中この外区にいるよ。でも、そうだね。一緒にうろついてんじゃないのかい? 知りゃしないよ」
「そうか」
「へい! サラダお待ち!」
ことりと、テーブルの端に新しい器が置かれる。キャベツの緑が目にやさしい、ダイエットに最適の一品。破顔したオヤジの顔とセットで現れる。
「にいさんどうでぇ、暇ならあの子、送り迎いしてやっちゃくれねぇけ?」
ぴく。
「なぁに、ちょいと二番街の『捨て猫病院』っていう施療院まで送り届けてくれりゃいい」
「あんた、何言い出すんだい! 人様に大事な娘を預けるなんて!」
「なぁに、このにいさんなら信頼できらぁ! なんせ、天下を騒がす悪党を退治しようとしてくれてんだ。腕っ節には自信があるんだろ?」
「まぁな」
キャベツの葉を丸ごと一枚、自分の口に押し込む。しゃきしゃきとした、新鮮な青葉の歯ごたえを大量に噛みしめる。
「……けど悪いが、暫くボディーガードの仕事は休業してんだ」
「そうけ……そりゃ残念だ」
店主はあからさまにがっくりとうなだれた。
「ちなみにその『捨て猫病院』っつーのは、黒い肌のうつくしい女性が経営してるボロっちい施療院のコトか?」
「ん、ああ、なんだ、知ってるのけ? 外区で病院っつったら、あそこぐらいしかないけぇ。院長のシュミさんは美人だからのう」
うんうん。
「まったくだ」
「美人で優しい気だても最高! うちのとは正反対でぇはっはっはっは!」
「はっはっは!」
ごすっ。
「……? 今、なんか鈍い音がしなかったか?」
「気のせいさね。空耳に決まってるだろ?」
……床でノビている店主の姿も幻だろうか。
「あんたもさっさと食べちまいな!」
「お、おう……」
びくびく。
暴力反対。
「――酒だって言ってんだろうがわからねぇのか!」
派手にものを蹴散らかす音。
「何度言やわかるんだこのアマァ!」
ものすごい剣幕で男が当たり散らしている。エレネちゃんは怯えた兎のように、肩をすくめてひたすら震えている。カード仲間である残りの二人は、酒が入っているようで、にやにや楽しそうに事を眺めている。
「ちょっとやめとくれ!」
おかみさんが慌てて駆け寄る。
キラリと光る飛来物が、真っ直ぐ飛んできて足元の床に突き刺さる。小型のナイフだ。刺さると痛い。
ひゃひゃ……
陰険な笑みを浮かべた別の男が笑う。
「おおっと手がすべっちまったい」
おかみさんは勢いをそがれ、足を止める。真っ青なカオでエレネちゃんは、すぐに母親の元に逃げようとするが、その二の腕が掴まれる。
「逃げんじゃねぇよ小娘が!」
「お楽しみはこれからってか、あひゃひゃひゃひゃ!」
耳に触る笑い声が、人の神経を逆なでする。
しゃりしゃり。キャベツがおいしい。
「よしとくれ……その子は生まれつき耳が悪いんだ。お酒なら持ってくるから……」
「だとよ。どうする?」
「おごりだろ? と〜ぜん。なぁ、おじょ〜ちゃん」
男の腕に抱きかかえられたエレネちゃんが、何を尋ねられたのかさえわからずふるふると震える。
「お、そういや聞こえないんだったか。わるいわるい」
うわ……性格悪。
「用意しろやコラ! このガキ剥くぞオラ!」
(……人質有りかぁ。参ったなぁ)
しゃりしゃり。
「そーそー。耳が聞こえなくたって立派に育ってるじゃんねぇ」
男の目が細められて、嘗めるようにエレネちゃんの足元から頭の先までをねっとりと這いまわる。
「カードで勝った奴から一枚ずつひん剥いていくっつう追加ルールどうよ?」
「ひゃひゃ、いいねぇ。たのしみー」
「やめとくれよ、その子は……」
「うるせぇぞババァ! 早く酒もってきやがれ!」
投げられた木皿が、おかみさんの額に当たる。傷ついた額を押さえて、おかみさんはすごすごと厨房へ退散した。旦那はまだ、俺の足元で熟睡中だ。
「……完食、と」
俺は皿の中身を全て平らげて、残ったエールの杯を手に立ち上がった。しっかりとした足取りで、男たちの居るテーブルまで歩いていく。
「その勝負、俺もノるぜ」
男たちの視線が、一斉に集まる。
「ああ? なんだテメェ」
「金ならあるさ。賭をするんだろ?」
「すっこんでろ、イモ野郎! オレたちゃ忙しいんだ」
「いいぜ」
喚く男を無視して、ふところの暖かそうなやつが余裕を見せて笑った。
「カモは多いほうがいいしな」
「決まりだ」
俺は空いている席についた。
「カードをくれよ。ただし、俺が勝ったときにはその子をもらう」
指をさされたエレネちゃんが、俺のほうを見てしゃくり上げる。
「てめぇ! 調子に乗りやがって!」
「まぁ落ち着けよ。どうせ元からオレらんじゃねぇ。ただな、にいちゃん、賭をするには対等の代価が必要だ」
「あいにく俺はそれほど金持ちじゃないぜ?」
「あんたの胸にあるそれ。そいつを賭けてもらおう」
男が指したジャケットの胸には、金色に輝くバッジが二つ。
「……へぇ。大した目利きだ」
「それ一つありゃ、ゆうに三年は遊んで暮らせる。オレらには一生縁のねぇ代物だ。そんなものぶら下げて歩いてるなぁ、命取りだぜ?」
奴らの目の色が変わった。欲望を剥き出しにした視線、無言の圧力。男に見つめられるのは、どうも居心地が悪い。
「オーケー。こいつを張ろう」
「話の分かるにいちゃんだ」
他の奴らはなにも言わず、黙っておのおの席につく。沈黙の中に広がる殺伐とした空気。いいねえ。俺好みだ。
「ようし、始めるぜ」