「ファウスト〜殺戮の堕天使〜」

三章 ある娼婦の死

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 古人曰く、「人情ハ反復シ、世路は崎嶇タリ」。

 意味するところはこうだ。「世知辛い世の中、何が起こるかわかりません」

 言えてる。

「ねえ。なにしてんのよぉ」

「ああ、ちょっと考え事さ」

 目の前で揺れる小振りな尻を眺めつつ、そう答える。

「早くしないとおいてっちゃうから」

「へいへい」

 うらぶれた通り。月明かりに慣れた目だけを頼りに、少女を追ってゆく。自分にとっては造作ない道行きも、前をゆく少女の足取りには、たまにヒヤリとさせられる。

 凍った雪をなめてはいけない。女のコの柔肌はもろくて傷つきやすいのだ。

「でもいいのかい? 館から勝手に抜けだしちまって」

 前をゆく少女に、そんな疑問を吐いてみる。

「カンケーないもん」

「カンケーねえってこたないだろ。姐さん心配するぜ」

「お散歩いくだけだもん」

「散歩ネェ?」

「口ごたえしない」

「へいへい」

 少女の名前はタリという。

 娼婦のなかで最年少。3サイズはB76(推定)W55(予想)H80(目寸)と明らかに幼児体型だが、見込みは十分期待は上々。将来有望なむっちんぷりんのおねぇさんになっていずれはうはうは。

 ……いや、そうじゃなくて、

「どこに向かってんだい?」

「ビョーイン」

 病院?

「なんで?」

「あーもう、文句あるならついてこなくていいよ! せっかく連れだしたげたのに、もどって皿洗いのつづきすれば!」

「……このまま逃げちまうかもしれんぜ?」

「好きにすれば?」

「あ、いや、冗談だよジョーダン。はっはっは」

 実はそーしたい。

 しかし美女の頼みを断れないところが、色男のツライところだ。

『いいね。しっかり見張っとくんだよ』

 オネェサマから別の指令。横には堆く積まれた食器の山がピカピカになるのを待っている。

『あの子、最近夜中に抜け出してどこかへフケちまうんだ』

 逃げないよう、見張ってりゃいいのか?

『そうじゃない。行き先なんかどこだって構やしないよ。あんたには、タリが外にいる間、危険なことから守ってやって欲しい』

 ボディーガードか?

『……最近物騒だからね。あんたみたいなのでも、いないよりマシさ。それに、あの娘だって年頃だから…』

 反抗期って奴か、わかるぜ、俺も。

『…………』

 なんだよ。

『とにかく、タリが無事帰ってきたら、あんたのことも考えたげる。ただし、もしあの子を裏切るようなマネしてみな。そのときは……』

 いやぁ、怖かった。あのときのオネェサマの顔は。

 その小一時間後の現在、俺は雑用係兼見張り役からボディーガードへと華麗なる転身を遂げたわけだ。これでうまくすりゃ、借金も帳消しになって万々歳。

 俺は自由を手に入れる!

 一生丁稚(でっち)で過ごすには、俺の年は若すぎるってもんだ。

「きゃっ!」

(おっと)

 我に返る。

 曲がり角で、スリップしたタリの身体が、派手に雪面に倒れ込んだ。

(言わんこっちゃない)

 すぐに追いつき、助け起こす。

「大丈夫か?」

「う〜、いったぁい」

 呻く少女の身体から、手早く雪を払いのける。最後に頭の上の大物をはたき、ニッと笑う。

「よぉし、どこも怪我してネェな? 立てるか?」

「う、うん」

 ぼけっとこちらを見つめていた少女は、慌てた様子で立ちあがる。

「……たっ!」

 よろめいて、壁に手をつく。眉間に小さな皺が寄り、左足を押さえてぺたりと地面に尻もちをついた。

「無理すんな。見せてみな」

 ズボンが破れて、かすかに赤い色が染みている。しかしたいした量じゃない。丹念に脚を確かめてみるが、別段異常はないようだ。診断結果はかすり傷。

「あっちゃ〜、こりゃ折れてんな」

「ウソ!?

「う・そ」

 ベチッ!

 真正面から額にチョップを受ける。

「いて」

「今度変なコトいうと急所狙うから」

「悪りぃ悪りぃ。人からかうのが趣味なんだよ、俺」

「てぃ!」

 …………。

「私が悪うございました」

「わかればよろしい」

 何でこんな目に遭わにゃならんのだろう。うずくまったままの自分が情けない。

 惨めな感傷に浸っていると、ふわりと背中に暖かい体温がのってくる。

「お詫びに、目的地まであたしを運ぶこと! いい?」

「へいへい」

 かけ声一つ、軽い身体を持ち上げる。

「さて。何なりとご命令を。お姫サマ」

「スナオでよろしい!」

 月の夜。冴え冴えとした蒼い光が、空から見守っている。吐き出された二つの息は、白く濁って尾を引いてゆく。

 真夜中。降り積もった雪を踏みしめる音だけが、静まり返った景色に響く。

「寒くネェか?」

「ううん」

 少女の身体は、少し汗ばんでいた。子供はカゼの子元気な子、とはいうものの、ほんとに風邪を引かせてしまうとあのオネェサマに半ゴロシにされること間違いナシ。

 早めに暖かい所、連れていってやらなきゃな。

(急ぐか)

「ねぇ」

「なんだ?」

「あたし、こーゆーの夢だったんだ」

「なにが」

「ふふ。おにぃちゃん」

(…似合わねえ)

 頬を掻く。

「……ひとりってね、とても寒いの。だれにもたよれないから、ぜんぶ一人でしないとダメなの。かあさん、死んじゃってから、ずっとお腹すいてた。街に立っててもだれも気づいてくれなくて、ひとりぼっちで、消えてなくなっちゃいそうだった」

 どうしてこう、寒い中で聞く他人(ヒト)の過去ってのには、ロクなのがないんだろう。

「今の暮らしは、サイコーだよ? おなかへっても食べものがある。ベッドなんかふかふかだし、寒くて死にそうになることもないし、いろんなものに怯えなくてすむし、オネーサマたちみんな優しいし、毎日がお祭りみたいだし――」

「じゃ、なんで抜け出したりするんだ?」

 沈黙。

 あえて、彼女が口を開くまで待つ。

「昼間のとき、さ」

「うん?」

「なんで、断ったの? そんなにミリョク、なかったかな?」

「あー、それはだな…」

 18歳未満は守備範囲外なんだ。

「……じゃなくて、えーと……ふっ。俺をそんじょそこらのスケベ男(スケゴロ)どもと一緒にされちゃ困るゼ」

「ぷっ、きゃはは! なにそれ。ウケるぅー!」

 べしっ! べしっ! べしっ!

 後頭部にチョップの連打を浴びる。

 ……いや、冗談じゃねぇんですけど。

「やっぱ、あなたって変! あそこでさそいうけて、バックれたヒト初めてだったよ。あんな、カラダ目当てじゃないヒト…」

 こつん、と最後に後頭部に固いものが当たった。

「…あたし、何も感じないんだ」

「何が?」

「あたしの身体。ミンナと同じように気持ちイイコト気持ちイイって思えない。ミンナと違うの。ひとりだけちがうんだ。だからビョーイン通って、早く治してもらうの」

「…治んのか?」

「なおるよ! お医者さん言ってくれたもん! オクスリ飲めばきっと治るって! だから、だから――」

「もし治んなかったら?」

 …………。

 まずいこと、いっちまったか。

 黙ってしまったタリを、そっと盗みみる。

 ぱこん。頭を殴られた。

「何よこの変態!」

「な、なんだそりゃ!? 人が心配すりゃ」

「下ろして」

「は?」

「おーろーしーてー!!

「わっ、ちょっとま……いてて、髪ひっぱんな! ぐへ、こら、首…くけっ! ……ぎ、ぎぶ、ギブミーヘルプ…あ、意識が……」

 ……あ、光。

 すんでの所で首締め(チョークスリーパー)が解除され、危ういところで黄泉の世界から復帰する。

「ここからは自分で歩くから」

 地面に手を突き「はぁはぁ」空気中の酸素を必死こいて補給する。その間に、タリはスタスタと歩いてゆく。

「こ、こら、待て。せめて一言あやまれ…」

「いぃーっだ!」

「畜生、あ、お願い、待って…」

(お、俺の借金チャラ計画が…)

 逃げてゆく――

「きゃああああ!」

 




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