「ファウスト〜殺戮の堕天使〜」

二章 マグダラのマリア

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 夕暮れ。

 墜ちる日差しは赤い光輪を放ち、あらゆるものを朱に染め上げる。雲の色、街並み、人の顔。一日の最後の輝きは、華々しく街を覆いつくし、やがて潮が引くように失われてゆく。

 それは一時の瞬間だからこそ、美しいのだろう――と、ファウストは思った。

「それがねメロウちゃん、また来てねってゆーんですよぅ、たっはっは」

 先刻から、間抜けな声が横から響いてくる。

「でね、その子がゆうには、小さくて可愛いワタシの王子様なんって。うひゃひゃひゃひゃ」

 そういって、こちらの背中をばんばんと叩いてくる。

 ふうううぅぅッ。沸き上がる不機嫌の衝動を煙と共に吐き出す。

「彼女、ぼくに気があるんですかねぇ。むふふふふふふ」

――カモが一匹、網に掛かっただけだ。

 マグダラの館は、金さえ払えば女が抱けるわけではない。店に通った回数と支払額、娼婦の好感度etc.が一定の上限を満たすことで、ようやく上客と認められる。それまではまめに貢いでポイントを稼がねばならない。

 入れ込んだ貴族がスラムの路地裏まで落ちぶれたケースもざらにある。人を破滅させるほどに、彼女たちには魔性の価値がある。誘惑の術に長けた娘は、男の心を意のまま操る。

 まるで雄を喰らう、女郎蜘蛛のように。

「それで、いくら払ったんだ?」

 ファウストは、機嫌良く前をいくワーグナーに尋ねた。

「ああ、お金ですか、それがねぇ、びっくりしないでくださいよ」

 思わせぶりな口調で、ぴっ、と指を二本立てる。

「なんと! ファウストさんの名前でツケときました。あはは」

 がしっ!

 気づくと、ワーグナーの胸ぐらを掴みあげている自分がいた。

「なんの冗談だ」

「やだなぁ、冗談だなんて。ぼくが嘘つくように見えます?」

「冗談だといえ」

「そんなに照れなくてもいいじゃないですか。ハイ! コレ請求書」

 突きだされた紙切れを斜め読みして、ぴき、と額に十字の血管が浮かぶ。

「……死にたいんだな?」

「ふふふ。ぼく、知ってるんですよ。ファウストさんの秘密」

「……なに?」

 ファウストは手を引っ込めて、ワーグナーを見下ろした。

「メロウちゃんから聞きましたよ。地下のV.I.P.ルームのこと。なんでも、貴方専用らしいですね。いったい何があるんです?」

「ほう、馬鹿かと思ったが、それなりに目はしが利くな」

「ふふ。当然でしょう。でなければ”剣帝”様からあなたの監視に派遣されたりしませんよ」

 …………。

「あれ? ぼく、なんか言いました?」

「いや」

 やはり。

 気づいてはいた。わざと頭の中から締め出していたのだ。だが、これで認めざるを得ない。

 ”白城”が今になった動いた理由。それは、例の噂が原因だろう。

 続発する猟奇殺人に、住民の恐怖心(フラストレーション)は増加の一方を辿っている。その唯一の容疑者と目される人物、それがこの自分――魔術師ファウスト。

 配下の者が殺人鬼に墜ちたとなれば、”白城”の面子(メンツ)は丸つぶれ、それ以上に恐ろしいのは、外区住民の暴動だ。二年前のことで膨らんだままの不信感が破裂し、一斉蜂起でも起これば、外区に取り囲まれた内区に逃げ場はない。

 もしものとき、自分を(スケープゴート)にたてて始末する気かもしれない。

 歯ぎしりするファウストをみて、ワーグナーが下から不安そうに尋ねてくる。

「ほんとに何も言ってないですか?」

「いっとらんと言っとるだろう!」

 怒鳴り声に、建物の影までワーグナーが移動する。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですかぁ。お金はちゃんと払いますよぅ」

「当たり前だッ」

 さらに遠くへ移動したワーグナーを見て、ファウストは声を抑えた。

「……さっさと戻ってこい」

「さッすがファウストさん! 心が広い」

「誰が許すと言った」

 カチャリ。冷たい鉄の感触が、こめかみに当たる。

「あの、これ?」

「遙か南方で作られた銃という飛び道具だ。鉛の(つぶて)を装填し、背後の撃鉄をたおせば準備完了。僅かな力で引き金を引くだけで、標的の頭が柘榴のように爆ぜる」

 赤い顔が蒼く変わった。

「痛いと感じる暇もない。『カチャ』『パンッ』『ドサッ』と三拍子であの世行きだ。当たり所が悪いと簡単に死ねず、暫く血を垂れ流して地獄の苦しみを味わうが、まぁ、細かいことだ」

 大きな眉毛が八の時にへこむ。

「安心しろ、楽なほうで逝かせてやる」

「ひぃぃぃぃぃぃッ!」

 脱兎のごとく、ワーグナーは一目散に細い路地を駆け抜けていった。出口のところでスリップして転んだが、まぁ、細かいことだろう。

 時計台の鐘が鳴り、五時を告げた。拳銃をぶら下げたまま、ファウストは辺りを伺う。

 ワーグナーが落としていった洋燈以外に灯りはない。夜が来て辺り一帯が闇に閉ざされたなら、それこそ襲撃者の絶好の的だ。ここなら人気もなく、邪魔も入らないだろう。

 彼は再び拳銃(エモノ)を持ち上げ、後ろに銃を向けた。

「いつまで尾けてくるつもりだ」

「ありゃ。気づかれてたか」

 夕日を背に、ふらりと人影が現れる。相変わらずのにやけた表情。ピアス代わりのマスコットがキラリと揺れる。

「おばんです」

「……貴様、何者だ」

「それにしても寒ィよなぁ。酒でも飲んでなきゃ、凍えて死んじまうぜ」

 パンッ――

 拳銃の弾は男の頬を僅かに逸れ、壁に亀裂を走らせる。

「質問には適切に答えろ。俺は機嫌が悪い」

「……ΔMF-310――通称『メフィスト』。南部で造られた銃の中じゃ、希少価値のついた旧式(オールドスタイル)。今じゃ冴えない単発式で、マニアにゃヨダレの一品(レアモノ)だ」

「…………(カチャ)」

 銃身の中程を折り、そこから空の薬莢を落とす。雪の上に埋まった薬莢を、ファウストは踏みつけた。

「そいつにゃ致命的な欠点が三つある。その一。単発式は速射性が望めない。その二。旧式は射出時の反動が大きく、命中率がすこぶる低い」

 コートのポケットに手を突っ込み、弾丸を探す。できれば、黒いやつがいい――

「その三。ただし破壊力は抜群だ。そのため製造当初は荒くれどもが競って買い漁ったそうだが、暴発を繰り返してたったの二年で製造中止。以来、その銃をもつ奴ぁはこう呼ばれた」

 薬室に装填完了。銃身を戻し、ピタリと目の前のふざけた男の眉間に照準を合わせる。

「いつか銃に命を喰われる、”生贄”野郎ってな」

「長い講釈、ご苦労」

 カチリ、と撃鉄をおろす。

「さっさと質問に答えんかクソ餓鬼がぁ!」

「ちっちっち、落ち着けよ、おっさん。血管ブチ切れて脳味噌まで飛びだしちまうぞ」

 マスコット男は指を左右に振りながら、近づいてくる。

「こっちも聞きたいことがある」

「こっちが先だッ」

「まぁまぁ。俺も急がしい身でさぁ。早く帰ってホモ相手の代わりに、飯炊き・洗濯・便所掃除を山ほどこなさなならんのよ」

 男は十歩ほどの距離を確保して止まる。

「あんたの奪ったモンを返してもらいたい」

 男の顔から笑みが消える。

「本国から追いかけて見りゃ、こんなところでヒエログリフにお目にかかるたぁな。探したぜ」

「何のことだ?」

「とぼけんな。素直なほうが身のためだぜ。あんたがこの騒動起こしてんだろ? 噂の魔術師さん」

「だから何のことだ」

「『死者の書』を返せ」

 剥き出しにされた殺意が、一陣の風と共に吹きつける。外気の熱がさらわれ、急激に零下へと転化したようだ。青い瞳に睨まれ、ざわりと鳥肌が立つ。

「そんなものは知らん」

 事実、彼はその題名に聞き覚えはない。『死者の書』という限り、死人について書かれた本なのだろう。脳なし(ゾンビィ)不死人(ノスフェラトゥス)について書かれた書物は幾らかあるが。何年も前に手に入れたテクストだ。いずれも、人に狙われるような品ではない。

「ちっと痛い目見なきゃわからねぇか」

「痛い目だと? どちらの台詞だ」

 グリップをきつく握りしめる。奴の命は今、こちらの手の内にある。

「講釈の続きをしてやろう。この銃は俺なりに改造(カスタマイズ)した特別製でな。鉛玉の他に、規格外(オリジナル)も使用可能だ」

「へえ、そいつは面白い」男は不敵に笑った。「見せてもらえるんだろう?」

「ああ。望みどおりな」

 精神を集中し、知覚を(クール)にする。研ぎ澄まされた五感は次第に消え失せ、鮮明になった意識だけが底にほうへと沈んでゆく。

 どっぷりと浸かった暗闇の果てに、金色の門が見える。門には一匹の蛇が巻き付き、紫色の煙を吐き続けている。扉は固く、閉じられていたが、触れると生き物のようにどくんと波打った。六芒の門が口を拓き、真理(ことわり)が雪崩れ込んでくる。

『其は泉。際限なく湧き出す想像の源』

『其は塊。七色の光芒を放つ原初の観念』

『其は渦。諾々たる言霊を繋げた蛇』

 混沌の濁流の中から、慎重に言葉をすくい上げ、呪文として口に出す。銃身に刻まれた六芒の紋が発光し、発生した魔力の磁界で、バチバチと蒼い光の雷子(らいし)が跳ねた。増幅した魔力が出口を求め、好き放題に暴れ回る。

「ヒュゥッ!」と、男は喝采を挙げた。「あんた、大道芸人が向いてるぜ」

 ファウストは軽口を無視し、視線を固定したまま「”照準(ロック)”!」と叫んだ。

 魔術言語で発声した言葉は、常人には理解できない。だが、現実(リアル)に干渉する。空気がざわめき、前方に向けて魔力の通り道が出来上がる。

「”装填(セット)”――”火球(ファイアボール)”!」生身のときと違い、この『魔法銃(マジック・ガン)』を介して放つ魔術は数倍の威力に跳ね上がる。

 雷子が飛び火し、側のゴミ山ががらがらと崩れた。蒼い火花は空気中にも伝染し、放置された洋燈に取り憑いた。硝子の密室で、赤い舌がのたうつ。

「死に際のセリフは考えたか」

 蒼い稲妻をまとい、ファウストが語りかける。男はニッと余裕の笑みを浮かべ、肩をすくめた。

――馬鹿が!

 ファウストは躊躇無く引き金を引き、同時に装填した呪文を発動した。

「”開放(ブリッド)”!」

 蒼い稲妻が銃口へと収縮し、巨大な球体が生まれた。球体はうなりながら紅く燃え、弾丸のスピードで勢いよく吐き出される。

「くっッ」反動で、両腕が大きく跳ね上がる。のけ反った拍子に足を滑らせ、そのまま白い地面の上に背中から激突した。浅い積雪は衝撃を吸収せず、痺れる背中に思わず涙すらこぼれそうになる。

 つくづくツイてない日だ。雪まみれになって悪態をつく。

 痛みを押さえて立ち上がる。

 目前に広がる光景は、しかし彼を満足させてくれた。シュウシュウと大量の雪が気化して立ち昇り、混じった砂埃が夕日を受けて美しく輝く。

 壮快な気分だ。

(奴は――)

 左右は壁、出口は二つ。その一つは自分の背後にある。唯一の逃走経路だが、最後に見た瞬間、奴は逃げるそぶりも見せなかった。余裕の(つら)が癪にさわったが、あの距離では避けきれまい。

 どのみち、この煙が晴れればわかることだ。

 銃を二つに折り、灼けついた薬莢を排莢する。黒い塊が音もなく滑り落ち、地面に触れると硝子のように砕けた。

 通常弾を装填しなおしていると、不意に手を叩く音がする。

「ブラヴォ! 愉しかったぜ、Mr.Magic(手品師さん)

 声が終わらないうち、彼は自分の背後に銃を向けた。

 同時に撃鉄も下ろす。

「貴様、どうしてそこにいる!」

「タネを明かしちゃつまらねぇ。奇想天外摩訶不思議、それが手品の醍醐味さ」

 ファウストが塞いでいたはずの方向に、男は立っていた。僅かに服が乱れているものの、外傷はなく、無傷――

「馬鹿な!」

 ファウストは叫び、再度引き金に手をかけた。すると、

「遅ェ」

 声は下から聞こえた。

 とん、と脇腹に拳が当たる。見上げる顔がニッと笑った。

 気づいたとき、ファウストは壁に身体を預け、血を吐いていた。木片や古びた布、錆びた鉄屑などに埋もれ、息を吐く。脇腹が鋭く痛み、まるで鋭い歯に内蔵を食いつかれているようだ。

 ぐふっ

 あばらが折れている。

「殺しゃしねぇ。『死者の書』の在処を聞くまではな」

「……何を、した」

「同じセリフを二度いわせんな」

 顔に足が乗ってくる。冷たい靴底を押しつけられ、口を開くこともできない。

「なぁ。俺、暴力は嫌いなんだ。任務とはいえ、一般人に危害を加えるなぁ、心が痛む」

 ぐりぐり。

――言葉と行動が正反対だクソ餓鬼。

「あれは世にでちゃならねえ代物だ。何者もこの世の法を侵しちゃならねぇ。そうだろ? おっさん」

 ぐりぐり。

――図に乗るなよクソ餓鬼。

 遠くから人の声が聞こえた。それも複数。騒ぎを聞きつけたのか、こちらに近づいてくる。

「ちっ、誰かきやがった」

 足がはなれる。ファウストは泥まみれの顔を手で拭った。

 直後、飛んできた足が横凪に頬を直撃する。

「今日はほんの挨拶代わりだ。次に会うときゃ、『死者の書』を頂く」

 男は背を向け、「チャォ」ふざけて手を振った。夜の帳が訪れる路地の奥に、鼻歌を唄いながら去っていく。

「こっちだ、急げ!」

 声が近い。ファウストは痛む身体にムチ打ち、がらくたの中から起きあがった。

――”時の輪”の奴らだろうか。

 ”LOKI”討伐のために派遣された部隊が、この辺りで網を張っていてもおかしくはない。しかし、普段から何かと突っかかる連中だ。今の姿を見て、助けるどころが馬鹿にされるかもしれない。

 大勢の足音が、路地の手前で止まった。

「おい……」

「こいつは驚いた」

「ずいぶんとへばってらぁ。へっへっへ」

 凶暴さを剥き出しにしたならず者が揃っていた。どう贔屓(ひいき)めに見ても、騎士のツラには思えない。

 スラムの連中だ。

 ファウストは素早く身を翻した。

 まだ死にたくはない。

 




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