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その光景を、遠くから男は見ていた。
耳からぶら下げた観音様のマスコットが揺れる。サングラスをずらし、奥へと向かうコートの男をじっと見ている。
「なぁに見てんのぉ?」
耳元で囁く女の声に、さりげなくソファへともたれ掛かる。。
「いんや。ちょっと知り合いがいたんだ」
「なーによぅ、あたしというものがありながら、他のコに見とれてたわけぇ? もぉぉ最っ低ぇ」
「へっへっへ。俺は浮気性でね。ホレちまうとヤケドスルぜ」
「きゃははは! なにそれー」
別の一人が笑う。泥酔した娼婦たちといちゃつきながら、視線はコートの男が消えた闇からはずさない。
「なぁ、さっき来た男は、何者だい?」
「はれ? 誰か来た?」
「古くせぇコート着た、貧乏そうな中年男。パイプをくわえて気障をキメてる」
「ああ、また来てんの。いっつもまっすぐ奥にいっちゃうやつぅ」
「あいつ、きっとご主人様とデキてンのよ。きゃはは」
「あんたたち、お客に変なこと吹き込むんじゃないよ」
ヒールの甲高い音がして、真っ赤なドレスの美女が現れた。たっぷりと熟れた身体を見せつけるように腕を組み、うろんな流し目を向ける。
「ファウストってのさ。あの偏屈は。”白城”の犬さね」
ひゅぅ。
「こいつはとびきりの美女がおでましだ。趣味は何かな?」
「ふふ、ありがと。あんたたち、いい男連れてるじゃないか」
酔っぱらっていた娼婦たちが、急にしおらしくなって、慌てて席を空ける。
「オネェサン、さっき話してた奴とは、知り合いかい?」
「知り合いなもんか。あんな不能野郎。いくらモーションかけても、ちっともなびきゃしない」
「オネーサマって、たまに趣味悪いのよネ」と、娼婦の一人。
「フツウ、虐殺魔の相手なんか、頼まれたってしないよ?」
「虐殺魔?」鋭く聞きとがめて、男が問い返す。
「そ。あのファウストって奴、二年前にネ、殺したの、大勢。だから、みぃんなあいつのこと大嫌い」
ろれつが回らないセリフ。だが、顔にありありと浮かぶ憎しみの表情。
「あんな悪魔、死んじゃえばいいんだ」
「うへぇ。可愛い顔して過激だねぇ」
「あの男は、いえば外区の仇さ。何百人も人を殺して、城に取り入った悪魔なんだ。このコみたいにね、家族を殺された娘もいる」
娼婦の肩を優しく抱いて、その手首に描かれた小さなアザをみる。
「そいつはなんだい?」
「この館の所有物であるしるし。哀れな娼婦のしるしさ。あたしらはみんな、自由の権利を魔女に売り払って、生きることを選んだ奴隷なのさ」
手近にあったボトルを引っ掴むと、直に口をつけて喉へと流し込む。高い値段とアルコール度数が、喉元にひりつく痛みを与え、憂さを淀みの奥へ押しやってくれる。
「へぇ。奴隷のしるしねぇ」
まじまじと見ていると、その手がくいと持ち上がり、「えーぃっ」間延びした声とともに、額にチョップを受ける。
「ぐは、やられたっ」男は大仰にのけぞり、「どぅ。」とソファに倒れ込んだ。笑い声が巻き起こる。
天井のシャンデリアを見あげたまま、死んだふりを決め込んでいると、チョップをくれた娼婦の顔が現れた。気のせいか、瞳が少し潤んでいる。
「ねぇ。休憩しよ? 奥に部屋あるよ」
何かを期待している表情。
まじまじと見ていると、大人びた化粧の下に、あどけなさの残る笑顔がみえた。ほんのりと桜色に上気した頬に、華奢な肩を寄せて、精一杯の虚勢を張り、魅力的を装っている。
「よっ」と男は身を起こした。ソファの上にあぐらをかき、ぴっ、と人差し指を一本立てる。
「『歓楽極マッテ哀情多シ。少壮幾時ゾ、老イヲ奈何ニセン』」
「へっ?」きょとんとしたその額を、すかさず小突く。
「いったぁ。なにすんのよぅ」
「へへ。わりぃ。用事があるんだ。つーことで、また今度な」
そういうと、男は立ち去りかけた。
その肘がむんずと掴まれる。
「あれ?」
「逃しゃしないよ。まだお代、払ってないじゃないか」
酔ってるくせ、思いのほか握力が強い。凄みのある笑みを浮かべたオネェサマに、愛想笑いを返す。
「なんでばれ……い、いや、悪りぃ、実は俺、あんま、持ち合わせなくてよ」
「そう。なら、躰で払ってもらおうかね。あんたキレイな顔してるし、ホモ相手の男娼ならNo.1も夢じゃないよ」
「へっへっへ。まぁな……ってやるわけねぇだろ!」
半ギレ気味に突っ込むその隣から、また別の腕に引っ張られる。
「ねぇ、どぉするのぉ」
「あ、いや、だから俺文無しで――」
「男娼一名様おはいりぃ〜❤」
「待ってくれえぇぇぇっ!」
男は天井に向かって絶叫した。