「ファウスト〜殺戮の堕天使〜」

二章 マグダラのマリア

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 その光景を、遠くから男は見ていた。

 耳からぶら下げた観音様のマスコットが揺れる。サングラスをずらし、奥へと向かうコートの男をじっと見ている。

「なぁに見てんのぉ?」

 耳元で囁く女の声に、さりげなくソファへともたれ掛かる。。

「いんや。ちょっと知り合いがいたんだ」

「なーによぅ、あたしというものがありながら、他のコに見とれてたわけぇ? もぉぉ最っ低ぇ」

「へっへっへ。俺は浮気性でね。ホレちまうとヤケドスルぜ」

「きゃははは! なにそれー」

 別の一人が笑う。泥酔した娼婦たちといちゃつきながら、視線はコートの男が消えた闇からはずさない。

「なぁ、さっき来た男は、何者だい?」

「はれ? 誰か来た?」

「古くせぇコート着た、貧乏そうな中年男。パイプをくわえて気障(キザ)をキメてる」

「ああ、また来てんの。いっつもまっすぐ奥にいっちゃうやつぅ」

「あいつ、きっとご主人様とデキてンのよ。きゃはは」

「あんたたち、お客に変なこと吹き込むんじゃないよ」

 ヒールの甲高い音がして、真っ赤なドレスの美女が現れた。たっぷりと()れた身体を見せつけるように腕を組み、うろんな流し目を向ける。

「ファウストってのさ。あの偏屈は。”白城”の犬さね」

 ひゅぅ。

「こいつはとびきりの美女がおでましだ。趣味は何かな?」

「ふふ、ありがと。あんたたち、いい男連れてるじゃないか」

 酔っぱらっていた娼婦たちが、急にしおらしくなって、慌てて席を空ける。

「オネェサン、さっき話してた奴とは、知り合いかい?」

「知り合いなもんか。あんな不能(インポ)野郎。いくらモーションかけても、ちっともなびきゃしない」

「オネーサマって、たまに趣味悪いのよネ」と、娼婦の一人。

「フツウ、虐殺魔の相手なんか、頼まれたってしないよ?」

「虐殺魔?」鋭く聞きとがめて、男が問い返す。

「そ。あのファウストって奴、二年前にネ、殺したの、大勢。だから、みぃんなあいつのこと大嫌い」

 ろれつが回らないセリフ。だが、顔にありありと浮かぶ憎しみの表情。

「あんな悪魔、死んじゃえばいいんだ」

「うへぇ。可愛い顔して過激だねぇ」

「あの男は、いえば外区の仇さ。何百人も人を殺して、城に取り入った悪魔なんだ。このコみたいにね、家族を殺された娘もいる」

 娼婦の肩を優しく抱いて、その手首に描かれた小さなアザをみる。

「そいつはなんだい?」

「この館の所有物であるしるし。哀れな娼婦のしるしさ。あたしらはみんな、自由の権利を魔女に売り払って、生きることを選んだ奴隷なのさ」

 手近にあったボトルを引っ掴むと、直に口をつけて喉へと流し込む。高い値段とアルコール度数が、喉元にひりつく痛みを与え、憂さを淀みの奥へ押しやってくれる。

「へぇ。奴隷のしるしねぇ」

 まじまじと見ていると、その手がくいと持ち上がり、「えーぃっ」間延びした声とともに、額にチョップを受ける。

「ぐは、やられたっ」男は大仰にのけぞり、「どぅ。」とソファに倒れ込んだ。笑い声が巻き起こる。

 天井のシャンデリアを見あげたまま、死んだふりを決め込んでいると、チョップをくれた娼婦の顔が現れた。気のせいか、瞳が少し潤んでいる。

「ねぇ。休憩しよ? 奥に部屋あるよ」

 何かを期待している表情。

 まじまじと見ていると、大人びた化粧の下に、あどけなさの残る笑顔がみえた。ほんのりと桜色に上気した頬に、華奢な肩を寄せて、精一杯の虚勢を張り、魅力的を装っている。

「よっ」と男は身を起こした。ソファの上にあぐらをかき、ぴっ、と人差し指を一本立てる。

「『歓楽極マッテ哀情多シ。少壮幾時ゾ、老イヲ奈何ニセン』」

「へっ?」きょとんとしたその額を、すかさず小突く。

「いったぁ。なにすんのよぅ」

「へへ。わりぃ。用事があるんだ。つーことで、また今度な」

 そういうと、男は立ち去りかけた。

 その肘がむんずと掴まれる。

「あれ?」

(にが)しゃしないよ。まだお代、払ってないじゃないか」

 酔ってるくせ、思いのほか握力が強い。凄みのある笑みを浮かべたオネェサマに、愛想笑いを返す。

「なんでばれ……い、いや、悪りぃ、実は俺、あんま、持ち合わせなくてよ」

「そう。なら、躰で払ってもらおうかね。あんたキレイな顔してるし、ホモ相手の男娼ならNo.1も夢じゃないよ」

「へっへっへ。まぁな……ってやるわけねぇだろ!」

 半ギレ気味に突っ込むその隣から、また別の腕に引っ張られる。

「ねぇ、どぉするのぉ」

「あ、いや、だから俺文無しで――」

「男娼一名様おはいりぃ〜

「待ってくれえぇぇぇっ!」

 男は天井に向かって絶叫した。

 




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