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幾つものいかがわしい看板が立ち並ぶ通り。”聖処女通り”と名付けられたそこは、一大歓楽街である。その中で、ひときわ目立つ大きな館へと、ファウストは足を踏み入れた。
きらびやかな広間の中に、幾つも席が並び、女と男の嬌声が交わされている。適当な闇と光が織りなす妖しげな空間は、いくつもの影法師が踊る堕落の園だ。異様な熱気に満ち、むせ返るほどの媚薬の匂いが、正常な思考すら失わせる。
ファウストは、台座の上に置かれた呼び鈴を数回鳴らした。場に似つかわしくない、軽やかな音色が響く。
「ずいぶん賑やかなトコですねぇ。何かのお祭りですか?」
キョロキョロと斜め下で、物珍しげにワーグナーが見回している。その頭を押さえつけ、「じっとしてろ」
「まったく、チョロチョロと。俺は餓鬼の守りじゃないぞ」
「あら。これは珍しい。ファウストの旦那じゃないか」
足下でじたばたする小さな騎士を押さえつけたまま、不機嫌な顔を声の方に向ける。
真っ赤なドレスの美女がこちらをねめつけている。その胸元は大きくひらけ、白桃のようなふたつの双丘がのぞいている。
「マグダラに会いに来た」
「それより、一席いかがかしら? ここは女が男に淫夢を捧げる快楽の園。存分にサービスいたしますわ」
ルージュを引いた唇を、赤い舌がなぞった。濡れた瞳が挑発的な色を浮かべる。ドレスのスリットからするりと、柔らかなふとももがのぞき、媚態に満ちたフェロモンがむん、と立ちこめた。
「ゴクリ……」足下から、生唾を呑み込む音がする。
「今日は公務だ。暇はない」
「相変わらず野暮なこと。だけど、そこがまたソソるわ」
するすると近づき、ファウストにしなだれかかる。甘い香りが強まって、ファウストは顔をしかめた。
ドレスの生地は、間近でみると中が透けて見える。成熟した身体を艶めかしく押しつけて、痺れるような熱い吐息とともに、女が囁く。
「どうかしら? 考え、変わった?」
「――ファウスト様、お迎えに、あがりました」
陰気な声に、女がぎょっとする。後ろに、能面のような表情をした少女が一人、立っている。おかっぱ頭の少女は、光を吸い込むような黒玉の瞳でファウストを見上げ、もう一度同じ台詞を繰り返す。
まるでからくり仕掛けの人形のように。
「すぐに行く」
短く答えて、組み付いた女の腕を邪険にのける。それから一服して――何かを忘れている気がする。
「やーん! なにこれ、かっわい〜」
背後で起きた黄色い声に振り向くと、いつの間にかワーグナーが、三つ編みの娼婦に組み付かれ、おたおたしている。頬に浮かぶキスマーク、阿呆のようににやけた面――気にする必要はなさそうだ。
「案内しろ」
少女に付いてゆく男の姿を見送り、女は聞こえないように悪態をついた。