「二二拍手

第五話 ヤミヨミの神父

「アーメン」と溝口は今から食べる鯖に向けて短い祈りを捧げた。
「……ずいぶん昔に、馬鹿みたいに頭の切れる男がいた。そいつはこの世の本を読みあさり、あらゆる事象の因果関係をつないだ結果、世の中が何か巨大な意志によって操られているのではないかと踏んだ。奴は馬鹿だったが、天才だった。その裏を操るものと接触を持つことに成功した。結末は、まぁ、見ての通りだが」
 溝口は皮肉に笑った。
「結局のところ、辿り着いたのは神の思想だ。どうしようもなくなったとき、人は神にすがる。どのようなサイエンティストも、背約論者も、金持ちも、結局最後は理屈ではないとわかる(・・・)。それが本質。真理という奴だ」
 心地よい香りが場を支配していた。
 美鈴はふらりと前に手をつく。
「な……に……」
「南雲美鈴」
 溝口は彼女の名を呼んだ。
「人は欲望こそが本質だ。おまえは、俺に何を求める。俺はおまえの神になってやろう」
「かみ、さま」
 溝口の.眼に感情が浮かんだ。
 それは、哀れみだった。
 目の前の少女に向けられたものか、それとも。
「おまえが欲しいものはなんだ」
「ほしい、もの」
「そうだ。それを与えてやろう」
 美鈴は逡巡する様子を見せた。
 溝口は内心驚いた。東の言ったとおりだ。この少女は、他の人間よりも耐性がある。
 大麻を使った催眠術。深層心理の操作。闇黄泉の神父は、これで手駒を増やす。
「日和」
 彼女はそれだけ言った。
「……そうか」
 溝口は目を閉じた。
 それは、ひょっとしたら二度と今生で手に入らないものかも知れない。
 彼は、彼女の望みのものを、見捨てたのだ。
 それでも、別の方法で与えることは出来る。
 目を開き、彼は告げた。
「哀れなる僕よ。我に従え。さすれば望みはかなうだろう」
 美鈴はぼうとした眼で溝口を見上げ、頷いた。
 外から声が聞こえる。
 自分を呼んでいる声だった。
「来たか」
 溝口は大麻を口にくわえたまま、外へと向かった。
 そのあとを、夢遊病者のように美鈴がついて行った。
 腕の中に、大きな鏡を抱いたままで。




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