「二二拍手

第五話 ヤミヨミの神父

 鯖の水煮だった。
「スーパーのバーゲン品だが、結構いける。まとめ買いしておくと、非常食にもってこいでな」
「なんで、黙ってたんですか」
 美鈴は転がってきた缶にプリントされた魚の目を見つめて、恩師に尋ねる。
「東君に、あたしをあんな目にあわせたのは、先生だったの」
「……人は望むものを手に入れようとする。欲望の追求こそが、自然の本質だからだ」
「答えてください」
 何度も悲しい思いをしたせいか、不思議と涙は出てこなかった。
 それよりも、押しつぶされるような徒労感で現実実がなくなってくる。
「東は、青龍家という神道陰陽師の末裔らしいな。おまえのほうが知っているんじゃないのか?」
 自分用にも鯖の缶詰を探しながら、溝口は応えた。
「しらない。わたし、何も」
「知らないことが、罪であることもある」
「わたしの、せいじゃない」
「知ろうとしないことも、また罪だ」
「本当に知らなかったんだもん!!」
 美鈴はかぶりを振った。
「おっ、あった」
 溝口は目当ての缶詰を見つけた。
「缶切りがないな」
「何でそんなに平然としていられるの!?」
 押さえていた感情が爆発した。
「全部貴方のせいじゃない!」
「そう思うか?」
 溝口は缶切りを片手に、美鈴に目を向けた。
 肩をすくめる美鈴。
「俺の好きな言葉がある。”可能性”という言葉だ。possibility。人は、未来の自分に期待が持てるからこそ今日を生きていける。苦い思い出も過去で済ませる。”可能性”ほど、人にとって大事なものはない」
 缶切りでフタに穴を開け、ギコギコと中身を開ける。
「未来というものは、分からないから面白い。挫折も味わうリスクはあるが、ハイリスクハイリターンこそ生きる人の姿だ。無難に生き、ただ死ぬことを待つなどという人生など、価値がない。何しろ一度きりなのだからな」
「今はそんなこと聞いてない!」
「聞く必要がある。正龍は、”サキヨミの巫女”であるおまえを守るためだけの家系に生まれた。生きて死ぬまでその職に就く。それは人生に嵌められた枷だ。奴一人でちぎることなど出来なかっただろう」
 フタを開け終わると、缶切りを美鈴へと放った。缶にあたって弾ける。
「もう一人。そいつは、優秀であるが故に親の期待に応えなければならなかった。決められたレールの上を行く人生。他人に押しつけられる人生というものに価値があるなどと思うか? ゲームに逃避したせいで、人格が崩壊していた。直すためには荒療治が必要だった」



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