「二二拍手

二話 狂犬騒乱

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 さんざんな目にあった。
 打ち身や擦り傷だらけの身体を引きずり、”狂犬”は暗い道を歩いていた。
(あのアマ、まったく手加減しやがらねえ)
 連戦連敗。初記録だった。
 それも、たった一人の相手に。
 噂にでもなったら洒落にもならねえ。
(轟あえか、つったか)
 日和の師匠をしていると言っていた。
(いい先生(ししょう)の元で、修業してやがる)
 知らないうちに、口には笑みが刻まれる。
 さんざっぱらぶん投げられ、手や足を蹴られ、ときに殴られて、それでも隙というものを見つけられなかった。ボクシングには足元が、柔道なら頭が、おろそかになる。試合のルールで守られているせいで、ルール無用のデスマッチとなる喧嘩の際にはそこが弱点となる。頭ではわかっていても身体は馴染んだルールが暗黙的にたたき込まれているため、予想だにしなかった位置を攻撃された相手は戸惑い、隙を大きくする。そこを付いて嵌めていくのが、常勝無敗の理由(セオリー)だった。
 そのために、目に付く格闘技書や武道の解説書はすべて目を通した。自力で弱点を看破し、勝利を手にする。拳の強さに加え、豊富な知識からとりえるべき最善の手を選び出す脳と身体の瞬発力の連係プレイ。彼は決して頭が悪いわけではない。必要なことならば、徹底して身につける粘り強さを持っている。それが、”狂犬”の誇りだった。
 それが、あっさり破られた。
 隙を見せたかと思えば、逆に見透かされていて罠にかかる。古武道の本もいくつか目にしたことがあるが、直に相手をしたのは今回が始めただった。昔の武道には決まりきったルールがない。一瞬でも隙を見せればそれが死につながる戦場の格闘技。実践から編み出された技というものは、現代のスポーツ化された格闘術とは比べものにならないほど、対処法が多様化し、流動的に事に対処するすべに長けていた。それが敗因だ。
(……悪くねえな)
 一戦も勝てなかった。それなのに、彼の心は静かな月を映し出す湖面のように穏やかだった。ざわついていた焦りや苦悩といったものが、投げられるたびに一つ一つ消えていった。
 おかしなものだと思った。今までにない経験だ。
 見上げると、月が出ている。まんまると輝く天上の光輪に彼は少し目を細めた。
 明日、日和に謝ろう。
 ズドン。
 一瞬、近くで花火が上がったのかと、彼はいぶかしんだ。
 それから、焼け付くような痛みにさいなまれ、くずおれる。
「……いっ……て」
 目の前が真っ暗になるほどの痛みの場所に手を当ててみると、ヌルリと気色の悪い感触が手につく。



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