「二二拍手

二話 狂犬騒乱

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「ふわーあ」
 数学の鳥角が日和には解読不可能なギリシア文字を説明している。
「春日! 欠伸をするな!」
 四〇を過ぎて淋しくなった頭にはわかめのように(しな)びて張り付き、動くたび海草のようにわさわさ揺れる。”人間わかめ”鳥角恭平(とりかどきょうへい)43歳。独身。
 チョークを突き出し、ツバをまき散らす教師に、最前列の生徒が迷惑そうに教科書でバリケードを張る。
「貴様は学校に眠りに来ているのか勉強に来ているのかどっちだ!」
 わかりきった答えを求める昔気質の教師に、日和は嫌々ながら欠伸を閉じた口で答える。
「……べんきょーっす」
「そうだ! ただでさえ成績悪いおまえは授業をもっと真面目に受けろ!」
(んなこと言ったてなァ)
 昨日は遅くまで美倉みすずとともに例の中学生を捜して町を駆け回っていた。一晩眠った程度では疲れはとれない。
 収穫はさっぱりだったが、今日は手がかりくらいは掴みたい。
 平日の放課後は決まってあえかの道場で稽古を受けている。二時間程度だが、終わる頃には暗くなっている。遅い時間からの捜索開始となり、明日も似たような眠気に悩まされるのだろう。
 それも、大沢木のためだ。友達のために時間を割くことを惜しいとは思わない。結果次のテストで赤点をとろうともろともだ。ハナから赤点である可能性は否定しきれないが。
「いいか! サインコサインタンジェントは高校数学の基本中の基本だ! わからない奴は石にかじりついてでも頭にたたき込め!」
(なーにがサインコサインだ。コサックダンスかってーの)
 日和は勉強など社会生活においてまったく役に立たないと考えているので、鳥角の話はことごとく耳の穴を突き抜けていく。赤点なんぞ怖くはない。
 補習が怖いだけだ。
「南雲! 次、これ答えてみろ!」
 指名されたあと、若干の間があった。
「……ナグモ?」
 鳥角がいぶかしむように声をかける。
「はっ、いたっ……! なんでしょうか?」
 立ち上がるときに膝を机にぶつけたようだ。慌てた様子で教科書を眺める南雲に、鳥角は心配そうな声をかける。
「体調、悪いのか? なんなら帰ってもいいぞ」
 なんだよその違いは。
 日和は人類社会の大きな問題は決して無くなることはないぞ、とこの不条理に対して腹を立てた。
「その、すいません。何ページでしょうか」



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