洛陽の花 <短編集>

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 身ぐるみ剥がされた街路樹が、最後の一枚を振り落とさないよう、懸命に耐えている。
 冬の寒さの中で、その光景を心に焼き付ける。
 妻の手帳を見つけた。
 そんなものを持っているなんて話を、私は聞いたこともなかった。
 ひらいてみれば、予定表で埋めるはずのスペースに、短い文字で走り書きがされていた。
 ○月×日。何度呼びかけられても自分の名前だと気付かなかった。
 △月□日。夫の前で取り繕う。物忘れが激しい。
 ◇月◎日。買い物帰りによく道に迷う。通い慣れた道なのに。
 細かくシルされた症状をみるたび、気付けなかった自らの愚を呪った。
 無理をしていたのだな。
 私に心配をかけないために、必死になって笑っていたのだ。
 あのたった一枚の葉のように。
 落ちまい、落ちまいとしていたのだ。
 必死になって、私に負担をかけないようにしていたのだ。
 情けなく、歯がゆかった。
 私は最低の夫で、彼女は、最高の妻だった。
 私はその妻を、自ら手をかけようとしていた。
 妻は、それすら、許してくれたのかも知れない。
 
 もう暫く、頑張ろうと思う。
 自分のために努力してくれた妻に、今度は私が努力する番だ。
 間違ってしまうことがあるかも知れない。
 そのとき、どうなるかは正直分からない。
 それでも、今日を生きる。
 自分のためでなく、妻のために、私は、明日を生きなければならないことを、彼女に誓った。
 いつかまた、笑い会えるために。



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