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突きだされた手刀が胸を抉り、中から真っ赤な臓物を引きずり出す。びくん、と跳ねた女の身体は、それで動かなくなった。ただの肉塊と化した躯が、少女を抱きしめたままずるずると滑り落ちてゆく。
半ば予想していたことだ。
「だから言ったのだ」
ファウストはすでに聞こえないであろう者に向かって呟く。
「悪魔は狡猾だ。あのような演技など、たやすく演じてみせる」
少女の姿をした悪魔は、赤い血のしたたる心臓を手にしたまま呆然としている。
「どうした。貴様の好物だろう。さっさと喰らうがいい」
「――なに、これ」
「?」
様子が変だ。
「なんで、わたし――おねえちゃん――おねえちゃん!」
必死になって女を揺する姿が、ファウストには滑稽に思えた。奴お得意の悪質な冗句。
「いい加減にしろ! まだくだらん芝居を続ける気か!」
「あれは芝居ではない」
声が聞こえて、横から影が滑り出た。その姿を見て、ファウストは息をのむ。
「大した男だね、ハンス君は。さすがに小娘の中にはいられなくなってしまったよ」
『LOKI』は、元の襤褸きれに身を包み、倒れているハンスに向かって賞賛の言葉を述べた。
「――まさか本当に、解放したのか」
「まさか」
『LOKI』の頬が醜く歪む。
「サラ、ご主人様がお呼びだ」
パチリと指を鳴らすと、少女が動きを止めた。女の身体から離れると、新鮮な臓物を『LOKI』の元へと運んでくる。
「よくできたね」
少女から捧げられた心臓を手の上で眺め、すっ…と横一文字に切り裂く。
大量の血が飛び散る。
小さな固形物をつまみ出した。
あれは――
コートのポケットに手を入れ、同じものをワーグナーから預かったままであることを思い出す。
「ふむ。素敵な色だ。この熟れ具合を出すのが何とも難しくてね」
カリ。
『LOKI』は手で顔を塞ぐと、感極まったように大笑した。
「……それが今の貴様の『主食』か」
「まァね。スリムで手頃なサイズだろう? 人の命の一つ分だ」
はらわたの煮えくり返る思いで、『LOKI』を睨む。
「エゲツない奴め。いずれはその娘も腹の中か」
「それは違う。この子は僕の大事な手足だ。素晴らしい出来の作品を、壊してしまう芸術家などいないだろう?」
といって『LOKI』は無表情な少女の頬を愛でた。
「……いい趣味だな」
「そうだろう? だけど残念なことに、この芸術を認めないへそ曲がりもいるようだ」
身を翻し、ファウストに背を向ける。
「だろう? ハンス君」
凄まじい速度で風を切り裂き、弾丸が脇に逸れる。
「……チッ、また、しくった」
うつぶせのまま、銃を手にした男が、朱に染まった口をひらく。
「君もしぶといね。大人しく寝たフリをしていれば、見逃してあげても良かったんだけど」
パンパン、と立て続けに銃声がなる。
それらはどれも、目標を撃ち抜く寸前で宙に停止した。
カチン、カチン。
撃鉄の音が虚しく響く。
「……雨なんざ、嫌いだ」
地面に手をつき、男はのそりと立ち上がる。
「君には忠告というものが無意味らしい。何度、同じ過ちを繰り返せば気がすむのだ」
『LOKI』が指で弾くと、二つの銃弾は元の主のもとへ高速に引き返した。
パスパス!
軽い音と共に右肩と左足に穴が空き、叫び声すら上げずに倒れる。
「さて。これで邪魔者は――」
ごんっ、と重いものがその後頭部に当たった。転がったのは、時化って使いものにならなくなった六連発式銃だ。
笑みを刻んだまま『LOKI』の表情が固まる。
「……意外と元気なんだ、ハンス君。だけど君にはもう、用はないんだよ」
「こっちにゃ、ある」
傷をものともせず、立ち上がる。見上げた根性だ。
「……君はつくづく、阿呆だな。生に対しての渇望が見られない。死にたいだけの馬鹿は、僕は相手にしないんだ」
「さんざ、ゴロゴロ殺して、おいて、なに、いってやがる」
「僕の獲物は必死に生きている人間だけさ。明日を夢みていいことがあると考えている大間抜けだけが、僕の餌となる資格がある。これでも理想は高いんだよ」
「はき気が、すんぜ」
「有り難う」
『LOKI』は男に向き直ると、悪鬼のごとき笑みを浮かべた。
「それじゃァ、これなんかどうかな」
『LOKI』がパチリと、指を鳴らした。
男の足元で眠っていた躯が、ムクリと起きあがる。その左胸にポッカリ開いた傷口から、朱い血が染み出すように白衣を染めた。
「……てンめぇッ」
「そのアバズレの相手でもしてなよ。お似合いのカップルだ」
凄まじい哄笑が辺りに響いた。
「さぁ、宴を始めよう! 悪魔の夜の始まりだ!」