「ファウスト〜殺戮の堕天使〜」

七章 悪魔の夜

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 突きだされた手刀が胸を抉り、中から真っ赤な臓物を引きずり出す。びくん、と跳ねた女の身体は、それで動かなくなった。ただの肉塊と化した躯が、少女を抱きしめたままずるずると滑り落ちてゆく。

 半ば予想していたことだ。

「だから言ったのだ」

 ファウストはすでに聞こえないであろう者に向かって呟く。

「悪魔は狡猾だ。あのような演技など、たやすく演じてみせる」

 少女の姿をした悪魔は、赤い血のしたたる心臓を手にしたまま呆然としている。

「どうした。貴様の好物だろう。さっさと喰らうがいい」

「――なに、これ」

「?」

 様子が変だ。

「なんで、わたし――おねえちゃん――おねえちゃん!」

 必死になって女を揺する姿が、ファウストには滑稽に思えた。奴お得意の悪質な冗句(パフォーマンス)

「いい加減にしろ! まだくだらん芝居を続ける気か!」

「あれは芝居ではない」

 声が聞こえて、横から影が滑り出た。その姿を見て、ファウストは息をのむ。

「大した男だね、ハンス君は。さすがに小娘の中にはいられなくなってしまったよ」

 『LOKI』は、元の襤褸きれに身を包み、倒れているハンスに向かって賞賛の言葉を述べた。

「――まさか本当に、解放したのか」

「まさか」

 『LOKI』の頬が醜く歪む。

「サラ、ご主人様がお呼びだ」

 パチリと指を鳴らすと、少女が動きを止めた。女の身体から離れると、新鮮な臓物を『LOKI』の元へと運んでくる。

「よくできたね」

 少女から捧げられた心臓を手の上で眺め、すっ…と横一文字に切り裂く。

 大量の血が飛び散る。

 小さな固形物をつまみ出した。

 あれは――

 コートのポケットに手を入れ、同じものをワーグナーから預かったままであることを思い出す。

「ふむ。素敵な色だ。この熟れ具合を出すのが何とも難しくてね」

 カリ。

 『LOKI』は手で顔を塞ぐと、感極まったように大笑した。

「……それが今の貴様の『主食』か」

「まァね。スリムで手頃なサイズだろう? 人の命の一つ分だ」

はらわたの煮えくり返る思いで、『LOKI』を睨む。

「エゲツない奴め。いずれはその娘も腹の中か」

「それは違う。この子は僕の大事な手足だ。素晴らしい出来の作品を、壊してしまう芸術家などいないだろう?」

 といって『LOKI』は無表情な少女の頬を愛でた。

「……いい趣味だな」

「そうだろう? だけど残念なことに、この芸術を認めないへそ曲がりもいるようだ」

 身を翻し、ファウストに背を向ける。

「だろう? ハンス君」

 凄まじい速度で風を切り裂き、弾丸が脇に逸れる。

「……チッ、また、しくった」

 うつぶせのまま、銃を手にした男が、(あけ)に染まった口をひらく。

「君もしぶといね。大人しく寝たフリをしていれば、見逃してあげても良かったんだけど」

 パンパン、と立て続けに銃声がなる。

 それらはどれも、目標を撃ち抜く寸前で宙に停止(フリーズ)した。

 カチン、カチン。

 撃鉄の音が虚しく響く。

「……雨なんざ、嫌いだ」

 地面に手をつき、男はのそりと立ち上がる。

「君には忠告というものが無意味らしい。何度、同じ過ちを繰り返せば気がすむのだ」

 『LOKI』が指で弾くと、二つの銃弾は元の主のもとへ高速に引き返した。

 パスパス!

 軽い音と共に右肩と左足に穴が空き、叫び声すら上げずに倒れる。

「さて。これで邪魔者は――」

 ごんっ、と重いものがその後頭部に当たった。転がったのは、時化って使いものにならなくなった六連発式銃だ。

 笑みを刻んだまま『LOKI』の表情が固まる。

「……意外と元気なんだ、ハンス君。だけど君にはもう、用はないんだよ」

「こっちにゃ、ある」

 傷をものともせず、立ち上がる。見上げた根性だ。

「……君はつくづく、阿呆だな。生に対しての渇望が見られない。死にたいだけの馬鹿は、僕は相手にしないんだ」

「さんざ、ゴロゴロ殺して、おいて、なに、いってやがる」

「僕の獲物は必死に生きている人間だけさ。明日を夢みていいことがあると考えている大間抜けだけが、僕の餌となる資格がある。これでも理想は高いんだよ」

「はき気が、すんぜ」

「有り難う」

 『LOKI』は男に向き直ると、悪鬼のごとき笑みを浮かべた。

「それじゃァ、これなんかどうかな」

 『LOKI』がパチリと、指を鳴らした。

 男の足元で眠っていた躯が、ムクリと起きあがる。その左胸にポッカリ開いた傷口から、朱い血が染み出すように白衣を染めた。

「……てンめぇッ」

「そのアバズレの相手でもしてなよ。お似合いのカップルだ」

 凄まじい哄笑が辺りに響いた。

「さぁ、宴を始めよう! 悪魔の夜の始まりだ!」

 




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