「ファウスト〜殺戮の堕天使〜」

一章 「ファウスト」

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「……8人目、か」

 生気のない瞳の中に、パイプをくわえた男の姿が映っている。男は、床に描かれた魔法陣をつぶさに観察しながら、背後にいる老剣士に口をひらく。

「今までと同じ魔法陣だ。思った通り、今回は『X』にあたる位置の文字が変わっている」

「ふむ」

「描くのに使われたインクも同じだな。どす黒く変色した朱い色――何度見ても、この色には胸がむかつく」

「ふむ。他に気づくことはないかの」

 老剣士の言葉に、男は暫く部屋を見回した。やがてぴたりと視点を定める。

「……なるほど、部品(パーツ)が足りんな」

 立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。狭い部屋だ。わずか五歩で、目的の場所まで辿り着く。しゃがみ込むと、生えほうだいの無精ひげが目立った。

「死体は、この頭だけか」

 ファウストは、すでにものの見えない灰色の双玉(そうぎょく)を見つめ返して言った。

「そうじゃ」

「よく探したのか?」

 立ち上がり、”剣帝”に向けて問う。

「無論じゃ。家の隅々までの」

「ふん。あばらやの捜索など,たかが知れていよう。外はどうだ?」

「それが昨夜の雪でな。思うようにはかどっておらん。今、総出で雪の下を捜索しておる」

「そうか……」

 ファウストは、”剣帝”の近くまで戻ると、小声で言った。

「……若いな」

「齢3つだったそうな。可愛い年頃よ」

「それで、あの様か」

 ファウストは、ちらりと一瞥した。そこには、我が子の首を愛でる母親の姿がある。

 頬はこけ、顔は青白く、霞がかった視線を腕の中へと注いでいる。長い黒髪に覆われた姿は、まるで泣き女(バンシー)だ。

「犠牲者の母親じゃ――彼女が天使を見たという」

「ずっとあの調子か?」

「そうじゃ」

「……俺が近づいても、何の反応もみせなかった」

 ふうぅぅぅぅ。煙のため息。

「正気か? あんな気の狂った女の証言を信じろと? 息をしているだけで、あれでは死人とかわらんぞ」

「唯一の手がかりじゃ」

「ハッ! それなら宗教家にでも頼むがいい。喜んで天使だ悪魔だとぬかしてくれよう。テイクアウトに聖書のおまけつきだ。金貨一枚でも渡せば、はれて天国への約束手形まで発行してくれるぞ」

「お主、いつまで『LOKI』を野放しにするつもりじゃ」

 ”剣帝”の言葉に、ファウストは言葉を止め、頬を歪ませる。

「……気にいらんな。まるでこの俺が、ろくに捜査してないような言い方だ」

「違うか」

「ふざけるな!」

 ファウストは近くの壁に拳を叩きつけた。

「外区の始末を俺一人に押しつけて、傍観している貴様らに何がわかる!」

 外区を任されてからこれまで、どれだけ協力を要請しようと”白城”が動くことはなかった。諦観して己の力のみを頼りに、今までスラムの事件に当たってきた。今回の猟奇殺人も例にもれず、自分の頭と足だけで、何日も調査を続けてきた。だが、めぼしい成果は得られず、未だ奴の正体すら掴めない。

 それでも、外壁の殻に閉じこもった内区の臆病者どもに、したり顔で無能呼ばわりされる筋合いはない。

「奴は異常者だが、狡猾だ。貴様らが思っているほど、ヤワな相手ではない!」

 外区で最も恐れられる殺人鬼の噂は、尾ひれをつけて街中を飛び交い、今や一番ホットな世間話(ニュースソース)と化している。

 腕が六本生えている。一つ目。大きな角がある。声を聞くと死ぬ。ニンニクが嫌い。人肉より豚肉が好み。事実無根の根も葉もない噂ばかりで、確証など一つもない。

 ただ確実なことは、年端もいかない少女ばかりを狙い、次々とスラムでデス・ゲームを繰り広げる、凶悪なゲス野郎ということぐらいだ。

「いまさら騎士団を動かして何になる? 無能な貴族の坊ちゃんどもは、血を見ただけで腰を抜かすわッ」

「そうもいかぬよ」

 ”剣帝”はそういって、魂の抜けた母親の姿に目を向けた。

 現実を受け入れられず、変わり果てた我が子に向けて呟き続けるその姿は、哀れをこえて不気味さがただよう。

「のう、ファウスト」

「なんだ、文句があるか」

「お主が死すとき、あのように泣いてくれる者がおるか」

 ファウストは、忌々しく舌打ちした。

「必要ない」

「誰もおらぬか。哀れよの」

「なんだと!」

 かっと血が上り、思わず”剣帝”に詰め寄る。

「儂がここに来たのには理由がある。あることをお主に告げるためじゃ」

 ”剣帝”はやぶにらみに双眸を光らせ、口を開いた。

「この件は”白城”が預かる」

「な――」

「お主には今日この時をもって、”白城”の指揮下に入ってもらう。これはマーリン殿の決定じゃ」

「マーリン……だと」

 ”白城”の主が、わざわざスラムの事件に口を出すなど、異例の事態だ。

「どういうことだ、”剣帝”」

彼奴(きゃつ)の暴走は、内区にとって害を起こすと判断された。害虫の駆除は迅速かつ正確に、徹底して行わねばならん」

 嫌な予感がする。

「暫くの間、”時の輪”騎士の何名かをお主の元へ派遣する。好きなように使うがよい」

「役立たずの手など必要ない! 『LOKI』は必ずこの俺が挙げてみせる」

「ならば、牢の中で謹慎するか」

「勝手なことを!」

「不審な行動は極力慎め。お主も命は惜しかろう」

「……くそっ」

 ”白城”からの命令は絶対だ。”白城”の権威のもとに動いている身としては、素直に従うことが正しい。だが――だが――

「……わかった」

「ふむ。良い心がけじゃ」

「だが! 俺は貴族の馬鹿どもと馴れ合うつもりは毛頭ない」

 ”剣帝”は顎に伸びた白い髭に手をかけた。

「確かに、先ほどのような衝突が何度も起こると一々面倒じゃ。じゃが、お主をこのまま自由にしておくのも(いささ)か問題がある」

 逆さ玉ねぎの髭をゆっくりしごき、

「あ奴をつけるか」

 騎士を呼び寄せ、二言三言話すと、此方に向き直る。

「さて、では、お主が知っている『LOKI』の情報の一切を教えてもらおうかの」

「何を話した」

「直に解る」

 ファウストは煙草の煙で己を落ち着かせると、一連の事態を話し始めた。

 事の発端は約一ヶ月前――路上で見つかった惨殺死体に遡る。放置されていた死体は野犬共の朝食として、原型を留めず発見された。無事だった頭部から、後日身元が判明。一二番街に住む少女だった。

 現場には奇妙な模様も同時に残されていた。円陣(サークル)の中に時計盤を模して配置された、一から一一までの数字と一つの象徴文字(アルケミグラフ)。中央には、魔術を暗示する六芒星。

 それが三件続いたとき、連続殺人事件と断定。本格的な調査に乗りだした。

 殺害現場は番地を下っている。一二番街から始まって一一番街。その次は一〇番街……几帳面に一つずつ、反時計周りに犯行を重ね、そのたびに魔法陣の数字がなにかの象徴文字へと代わっていく。

 今では『T』『U』『V』『W』の四つを残すのみだ。

「間違いなく、『LOKI』は魔術に造詣の深い人物だ。でなければ、あのような複雑な魔法陣が描けるわけがない」

 淡々と説明している間、”剣帝”はじっとこちらを見ていた。耳を傾けているというより、様子を伺っている方が正しい。

「それに、魔術はある一定の法則をして初めて実現できる代物だ。一二番街から逆順に殺されているのが、それだな。おのずとここから、次の殺害現場も特定できる」

「四番街、じゃな」

「ああ。ただ、番地だけでは捜索範囲が広すぎる。見廻ったところで徒労に終わるのが、関の山だ」

「阿呆」

 ファウストの頬がぴくりとひきつる。

「少なくとも、被害を食い止める牽制になる。何もせぬよりはマシじゃ」

 ファウストは鼻で笑った。「それで『天使』を捕まえるか」

「何じゃと?」

「噂として流れる『LOKI』の特徴は、出所不明なデマに過ぎん。実際に奴の姿を見た者は誰もいなかった」

 何人かのホラ吹きが見たと証言したが、少し痛めつけるとすぐに泣いて謝った。

「あの母親が嘘をついていると?」

「どうだろうな」

 抜け殻同然の女を見て、呟く。

「人は偽る生き物だ。利己的な欲求のために、平気で嘘を付く。特に、スラム(ここ)ではその道理の方が正しい」

「相変わらず性根の曲がった理屈じゃな」

「貴様が甘いだけだ」

 人を信じることは、自分以外の人間に縋ることだ。他人の力に頼った時点で、己の弱さを認めたことになる。

「第一、あの様子では満足に会話もできん。いったいどうやって、あの女から『天使が子供を殺した』などという証言を引き出した?」

「ふむ。ほんとにのう」

「……惚けたかクソ爺」

 剣呑な目ツキで、”剣帝”を睨む。

「今朝、伝令を寄越して俺に伝えただろう。『天使が子供を殺した』と」

「儂はそんなこと言っとらんぞ」

「……なに?」

「今朝からあの母親は、ずっと同じ事を呟いておる。『子供が天使にさらわれた』とな」

「…………」

「伝令係のミスじゃな。あとできつく叱っておかねば」

「……そんなことはどうでもいい」

 ファウストはこめかみを押さえつけ、できるだけ冷静になろうと努力した。

「では、なにか? 貴様は、あの女の独り言を真に受けて、天使が殺したなどと――」

「さらわれた、じゃよ」

「ふざけるな!」

 ファウストは怒鳴りつけた。

「そんな情報が当てになるか! 天使などは妄想だ。全てあの女の狂言に過ぎん!」

「ほう。何故そう思う?」

「何故、だと?」

 ぎろりと”剣帝”を睨み付け、敵意を向ける。

「……いいだろう。天使など存在しないことを、今、俺が暴いてやる。そこで見ていろ」

 そういうと、女の前まで歩いていく。

「どけ! 女」

 微動だにしない女に、再度声を荒げる。「どけッ」

 腕を掴むと、無理矢理たたせようとする。

「こりゃッ、なにをしとるか」

「うるさいッ! 惚け老人は黙っていろ」

 二人の会話を耳にしたものか、何人かの騎士が部屋の様子を伺っている。

「これが俺のやり方だ」

 子供の首を抱いたまま抵抗する女を、力任せに横にのけた。呻いて床に崩れる女を捨て置いて、床に乗った木板を払いのけた。

 ぽっかりと口を空けた暗がりに、布きれの端が見える。ファウストは無造作にひっつかむと、中身を外にぶちまけた。

 全員が息を飲む。

「これが天使の正体だ」

 吐き捨てて、赤と黒の斑模様にデコレーションされた布きれを、半ば叩きつけるようにその上にかぶせた。

 紅い染みが広がる。

 重苦しい沈黙の中、女の嗚咽が始まる。

「これが現実だ」

 騎士が一人、口を押さえてどこかに消えた。

 重い塊に足を乗せる。柔らかかった肌は硬直しており、石のようにごろりと転がる。凍りづけの彫刻を、彼は剣呑に足蹴にした。

 しおれた腕にコートを掴まれる。

(なっ――)

「人でなし!」

 髪を振り乱し、血走った眼をして取りすがる女の姿に、冷たいものを背中に感じる。生白い両腕が、まるで蛇のようにのたくって、自分の首を求めて這い上がってくる。

「放せッ!」

「いかん。なにをしておる、取り押さえよ!」

 二人の騎士の手により、コートから引き離された女は、なお鬼気迫る表情で、狂乱して叫ぶ。

「この悪魔は、きっと天使様が裁いてくださるわ! おまえも、地獄の炎で火あぶりにされるがいい。あはははははははははッ」

「連れてゆけ!」

 さらに喚き続ける女を、四苦八苦して騎士たちが連行してゆく。それを黙って見送り、ファウストは乱れた服を正した。煙草の苦い味に、落ち着きを求める。

 ふと、自分を見つめる視線に気づく。

「なんだ?」

「あのような真似をして、恨まれるのは当然じゃ」

「慣れている」

 こともなげに言うファウストに、”剣帝”は苦笑する。

「しかし、酷いものじゃ。まさか、母親が我が子に手をかけ、死体を地下に隠しておったとはのう」

「違うな」

 ファウストは視線を死体に移した。

「犯行は『LOKI』の仕業に間違いない。あの母親は、子供の遺体を他人に見せたくなかっただけだろう」

「どういう事じゃ」

「『悪魔の寵児』と呼ばれる人種を、知っているか?」

 ”剣帝”は首を振った。

「見てみろ」

 布を剥がし、ぶつ切りにされた身体の一部を示す。

「陰陽体――二つの性が同居した特異体質だ。人から生まれた合成者(キメラ)だな。一般に、彼らは日陰者として生きる。何故だかわかるか?」

 小さな躯を凝視し、その末路を脳裏に刻み込む。”剣帝”の返事すら待たず、彼は続ける。

「悪魔がとり憑いていると忌み嫌われ、最悪災いが起きればその元凶(スケープゴート)として殺される。人間の醜い本性(サガ)から逃れるため、身を潜めるしかなく、一生を惨めに生きる」

 ファウストは布を元に戻した。

「ある意味、無知なままで殺されたことは幸いかもしれん」

 社会は差別を奨励する。囲いを維持するには、明らかに弱い者が必要なのだ。犠牲となる者がそれに甘んじることで、社会は秩序というものを手に入れる。

 くだらない。見せかけだけの平和だ。

「あの母親に罪はない。悪魔の子を産んだと知れたら、自分も含め、無事ではすまない。自衛のためについた嘘だ。解放してやれ」

 ファウストは立ち上げると、戸口へと歩き始めた。

「どこへ行く」

「四番街に騎士どもを派遣しろ。今夜にでも、奴は動くかもしれん。俺は少し、寄り道をしてから合流する」

「話は終わっておらん」

「必要ない」

「親子の秘密を暴いたことが、そんなに重荷か」

 ファウストの足が止まった。

「自分を責めるとは、らしくないのう。珍しく人の血が通ったか」

「責めてなどいない。ましてや、哀れみの心など微塵もない」

「ならば何故、それほどに気が乱れておる」

「黙れ!」

 震える拳を、握りしめる。

「怯えて逃げる奴には、生きる資格はない。偏見の刃に屈するより、全力で闘うべきだ。それすらせず、日陰者に甘んじていた事が気にくわんだけだ!」

 最後に、振り返ることなく吐き捨てる。

「俺に……情を期待するな!」

 声は、追いかけてこなかった。

 暗い部屋から外に出る。

 久しぶりに、日光の下に出た気がする。冷たいが、陰気で篭もっていないぶん、外の空気は新鮮に感じられた。煙草の味も、いくぶんか上等に感じる。

 高ぶった気が落ち着くまで、この陽だまりの世界で、散歩するのも悪くない――

「ファウストさん!」

 快活な声がすぐ横から聞こえ、ファウストはびくりと首をすくめた。

「これからお世話になります! ワーグナーです! よろしくお願いします!」

 きんきんと響く。

 目を向けると、妙に目をキラキラさせた子供がこちらをみていた。紋章(エンブレム)の剣を背負っている。

 見たことある面だ。

「何だ。俺はこれから用事が――」

「”剣帝”様より、貴方様の指揮下で事件を調査するよう命じられました!」

「なに? 知らんぞそんな――」

「お噂はかねがね伺っております。若輩者ですが、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします!」

(こいつ、この声――)

 聞き覚えがあるかと思えば、今朝家に押し掛けてきた伝令係だ。

 この馬鹿でかい声、嫌でも耳に残る。

 小柄な体を値踏みする。ブラウンの瞳と髪をもった若者だった。若干太めの眉毛が、意志の強さとプラスアルファで神経の図太さも顕している。そして何より、その身長だった。何度みても、自分の背丈の半分ほどしかない。

 人類のミニチュアサイズを眺めながら、軽い頭痛を覚える。

――”剣帝”め、どうしても俺を独りにさせない気か、

「なぁに、心配いりませんよ。チンケな事件の一つや二つ、僕がチョチョイと解決してやります。任せてくださいッ」

 わざとらしく親指を立て、ニカッと笑う。

 暑苦しい。

(”剣帝”め、とんだ荷物を押しつけおって――)

 だが、現在の状況ではいた仕方ないかもしれない。

「ワーグナー、といったな。ついてくるがいい」

「さっそく活動開始ですね! キキコミですか? ふふ、任せてくださいッ、人の話を聞くのはわりと得意なんですよ」

 ファウストは振り返りもせず歩き出した。




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