ここはぬばたま。

駄文の部屋。

お題:幾何学模様の妄想
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さて。

セル・オートマトンというものを知っているだろうか。
特定の規則によって生成と消滅のアルゴリズムを時系列的に演算させ、画面に絵などを表示させるプログラムである。
セルは格子の枡、オートマトンは自動機械。
結果としては、ドットの自動生成アルゴリズム。
コンピュータに課した規則と組み込んだアルゴリズムで表示される絵は多種多様。
抽象的着想ではなく純粋論理で生み出された無人格の絵は、驚くほど繊細に、微細に、まるで生き物のようにディスプレイにすばらしい絵を描く。
それはプログラムという人種に組み込まれた”才能”。彼独自の才能の発露である。

人間というのは、ある程度型にはまったものに対して美徳を感じる。
左右対称の建築物。夜空に閃く花火。論理思考の考え方。カテゴライズしなければ生きていけず、規則という名のルールに縛られなければ満足に生も維持できない。
型にはまるということは悪ではなく、人類が歴史として歩んできた生きるための思考なのである。

夜の闇に物の怪や怪物をみていた時代から、連綿として続いてきた人の歴史は、ものを型にはめることで、ようやく世界を認知し、向き合うことができた。
知識を得、理解を示し、好奇心とともに世界に触れる。
脳は肥大化し、世界を理解するに飽きたらず、自らの手で理解する対象を増やし、さらにそれを理解しようとする。
情報の集積は様々な分野を生み出し、いつ果てるともしれない自動生成アルゴリズムを社会に実現する。
法律によって自らを規制し、どこまでも絶えるはずがない、という絶対的想定のもとに人類という種を育み生み出しては消えていく。
まるでセル・オートマトンのようだ。

ところで、セル・オートマトンには二つのパターンが存在するのをご存じだろうか。
・変わりゆく絵
と、
・ある一定の形で停滞する絵
である。
我らの社会はそのどちらなのだろうか。いや、この質問自体、無意味なものかもしれない。
現時点がどこの位置なのか、それがわかる人間などいない。

毎日を生きている限り、多少なりとも世界は変化していく。ように見える。
ニュースが世界情勢の刻一刻の変化を知らせ、周りの知己も一年たてば移ろい変わる。
ただ、それは変化なのだろうか。
人類という大枠からみたセルの中身は、大して変わりがないのではないか。
それを現代社会は”平和”と声高に叫んでいるのかもしれない。

マクロの世界が変わるように、ミクロのディスプレイの中も変化する。
ミクロ化された社会のオートマトン。作られたプログラムの中の人生。ディスプレイの中の、ただ一人の自分を眺めてみるのも悪くはない。

おわり。


 「セルオートマトンと複雑系」サイト様よりDLした
 「2次元セルオートマトン汎用ツール」を眺めていて思ったことをつらつら。 2009/12/11

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