「キラー・ハンズ」
.第拾一話
著者 藤田拙修
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「これは」 「どうも」 「このビルにはエレベーターなんていう文明の利器すらありませんから」 「バリアフリーなんてご大層な理論を振りかざし民を欺く政治家の謀略をものともせず」 「風雨に耐えて苦節ン十年」 「今では穴凹だらけの洞穴に、両手の指で数えるほどの兎しか生息しておりません」 「唯一の利点は安いこと」 「それが何よりも勝る」 「ようこそ。キラー・ハンドへ」 「人生の先輩様」 「お疲れでしょう」 「その椅子にお座りください」 ギシッ 「椅子の耐久年数ももうすぐ切れそうですね」 「さて」 「老後の蓄えを頂きましょう」 「なけなしの国民年金」 「雀の涙ほどの金で、快適な生活など逆立ちしたって出来やしませんからね」 「毎度」 「姥捨て山、ってのを知っているか」 「人が集まり集団が形成されてムラへと発展し運命共同体として暮らしていく中で」 「暗黙の規則や決まり事が出来上がる」 「村八分だとか卑人だとかは、その暗黙のルールを破った者の結末さ」 「それはね」 「ムラが存続していくために最低限必要として生まれたものなんだ」 「考えてもみなよ」 「働くこともできない老人を生かしておくメリットがどこにある?」 「ただ無為に時間を過ごさせる為だけに貴重な食べ物を与え続ける必要がどこにある?」 「飢饉や天変地異でも起ころうものなら、ますますその必要性は皆無となる」 「今のようにな飽食ではなかったからね」 「口減らしのために、使えないものを山に捨てるのは当然だ」 「今だって、空き缶くらい転がってるだろ?」 「人の命の価値より、ムラの価値のほうが重要だった」 「現代とは大違いだよね」 「無駄がない」 「理にかなっている」 「少しでも頭のある人間なら、現代の不思議さに頭をひねるところだろう」 「社会に必要とならない人間を、どうして生かそうとするのか」 「一人の人間に例えてみるといい」 「若者が働いて仕事をこなせば、流動的に物流は流れ情報は循環し、絶えず新陳代謝が繰り返されてそれは細胞の一つのように社会を動かす有用素となりえるだろう」 「だが老人はどうだ」 「よぼよぼの身体で歩くことすら困難となり、抵抗力をなくした身体はいくつも病気を併発し、やがて病院のベッドの上に滞留する」 「まるで癌のように」 「それが何年も」 「個体は一つだが、ほら、十年後にはその数がいくらになっている?」 「生まれすぎた人間が働く人間の母数を超えて税制を圧迫し、増えすぎた癌はやがてこの国を窮地に追い込む」 「もはや分かり切っている自体を誰も打開しようとしない」 「現代は個人主義の時代」 「『命の人権』なるものが、大手を振って歩いているからね」 「老人にも人権を」 「これが大勢のモラリストの意見らしい」 「どうにも現代社会というのは自分の首を絞めることが好きみたいでね」 「どうしようもないことを後回しにしようとする」 「いまだからこそ出来ることが」 「十年先には出来なくなっている」 「現代の漠然とした不安の一つの正体は」 「それなのかもしれないね」 「なに。これは愚痴だよ」 「昔はあなたのような良心的な人が多かった」 「あなたの勇気は凡庸として生きる老人の何倍も素晴らしい」 「え?」 「妻が死んだから自分も死にに来たって?」 「いやさ」 「どうでもいいんだよ。そんなこと」 「言ったろ?」 「理由なんてどうでもいい」 「癌の治療はね、切除しかないんだよ」 (END) |